07.忌み子ふわりと被った布のせいで女たちの顔はまるで見えなかったのに、すれ違う瞬間、飛影は体を硬くした。***
「氷女だ…」「ん?」 飛影の小さな呟きを、銀色の耳は聞き逃さなかった。 女たちの後ろ姿は、小さな宿の入口にとっくに消えていた。 「氷女?よくわかったな?」 女たちは種族が特定できないよう、見る者を惑わす結界を自分たちのまわりに張っていた。 飛影は体を硬くしたまま、宿の入口から目をそらした。 「知っている顔だったのか?」 「いや…知らん、と思うが。…顔は見えなかった」 「じゃあ気にする事もないだろう?何を硬くなっている?」 その言葉に我に返ったように飛影は瞬きをすると、いつもよりさらに長身の相手を見上げた。 「…そうだな…。どうでもいい事だ」 「買い物だろう。女ってのはなんだかんだ言ってどこの世界でもそういうもんだ」 軽い口調で蔵馬はそう言って笑った。 二人はちょっとした遠出の最中だった。 珍しい薬草があるという噂を聞きつけた蔵馬が、妖狐の姿で百足を尋ねて来たのは三日ほど前の事だ。 ***
「珍しい薬草があると聞いてな。飛影、付き合え」普段聞きなれている、一緒に行きませんか?でもなく、付き合ってくれませんか?でもない妖狐の誘いに、飛影は眉をしかめた。 「…偉そうに。オレは草なんぞに興味はない」 「あの谷までは三日くらいかかるんだ。一人旅は退屈だ」 お前となら昼も夜も楽しめる、と蔵馬があっけらかんと言う。 夜も、の言葉が何を指すのかわかった飛影は思わず頬を染め、眉間のしわをさらに深くした。 「人の都合も聞かずずうずうしい…オレは仕事がある」 「お前の上司の許可は取ったぞ?付き合え」 飛影は天井を仰いだ。 蔵馬が持ってくる高価な宝石や、貴重な薬や役立つ樹木の賄賂に、躯は最近あっさり休みを寄越すようになった。 本人の意向は聞かずに、だ。 「…付き合ってください、だろ?」 「付き合ってください。行くぞ、支度しろ」 飛影は溜め息をつくと、コートをつかんだ。 ***
首尾は上々だった。薬草を育てていた一族は妖狐の姿に震え上がったが、危害を加える気はないのを知り、目の前に積まれた金にあっさりと頷いた。 その、帰り道だった。 通りすがりのこの街は栄えているわけでも寂れているわけでもない、よくある街だった。 この街の外れに根城の一つがあるという蔵馬に連れられ、見るともなく街を眺めていると、ふいに冷たい風を感じて飛影は体を硬くした。 氷女…? 氷女を氷河以外で見かけたのは、妹を除くと初めてだった。 なのに、飛影にははっきりとあの女たちの妖気が分かった。 「氷女だ…」 「ん?」 どうやら蔵馬も気付かなかったらしい。 「氷女?よくわかったな?」 すぐに、分かった。 まるで、自分の体の奥深くがそれに呼応するかのように。 気にする事もないだろう、という蔵馬の言葉に飛影はほっと体の力を抜いた。 そうだ。気にする事はない。 完全に自給自足で暮らして行けるはずもない。人間ほどではないが、妖怪にだって要るものはあるのだ。氷女たちは一切氷河を出ないで暮らしていると思われがちだが、時には下界と接触する事もある。 そうして愚かな氷女が、愚かにも男と交わり、オレを身篭ったというわけだが。 そう考え、飛影は暗い笑みを浮かべる。 「おい、飛影。聞いてるのか?」 どうやら何度か呼びかけられていたらしい。 飛影は慌てて返事をする。 「…なんだ?お前の根城は近いんだろう?」 「ああ。だが気が変わった。この宿に泊まろう」 蔵馬が顎で指す宿は、氷女たちの入って行った宿だ。 「…ここに?なぜだ?」 「別に。今日はもう疲れたから歩きたくない。それにいい匂いがするから、食事は美味そうだ」 疲れているわけもないのに、蔵馬はうそぶく。 氷女がいるから嫌だ、などと言うのはなんだかみっともなくて、飛影はしぶしぶ頷いた。 ***
食事まあまあだったが、他にはこれといって特徴のない宿だった。これまた特徴のない部屋の浴室で、飛影は湯につかっていた。 よりによって… 飛影は何度目かの溜め息をつく。 壁越しでも分かる、冷たい妖気。 よりによって、隣の部屋にあの女たちはいる。 それが自分にはわかる、という事が飛影には何よりいまいましい。他の者たち…蔵馬でさえ…惑わす結界が少しも効いていないのだから。 無理やり付き合わされて来たというのに、こんな嫌な目に合わされるいわれはない。 飛影は乱暴に湯をかぶる。カッカするのは頭にきてるからなのか、のぼせているからなのか。 「珍しく長風呂だな」 ノックもせず扉を開けた蔵馬は、まだ乾いていない銀色の髪を垂らしている。 「…オレの勝手だろう。入ってくるな」 「待ちくたびれた」 ずかずかと浴室に入ってきた蔵馬は、飛影を湯から引っぱり上げた。 「なんだ!? 降ろせ!」 ずぶ濡れのまま抱き上げられ、浴室を出る。 全身から水を滴らせたまま、ベッドに放り投げられた。 「…放せ。今日はやらん」 小さく低い声で飛影が釘を刺す。 「嫌だね」 蔵馬はそう言うと、飛影の胸の飾りに歯を立てる。 湯にのぼせたせいで、肌はどこもかしこもピンク色に上気している。 「っ、ぁ、今日はよせ!」 押し殺した声で飛影は抗議する。 「今日は?なぜだ?」 飛影は黙って目をそらす。 薄い壁でもないが、厚い壁でもない宿の壁に無意識に視線がいく。 「隣が気になるのか?氷女たちが」 「…そんなわけないだろう…?…おい!貴様わかっててわざとこの部屋にし…っん、あ!」 濡れている体をシーツに押し付け、蔵馬が足を開かせた。 長い指がそこを上下し、飛影はたちまち快楽の波に襲われる。 「ああ、ん…」 妖狐の時の蔵馬の手は普段より大きくて、爪も鋭い。 だがその鋭い爪でちょっと乱暴に先端を弄られるのは普段とはまた違った快感だ。 「ふっ、ん、んんんん、ん…ぐ!」 爪が先端を抉るように動き、熱いものがびゅっと吹き出しシーツを濡らす。 できるだけ声を抑えようと、飛影は手の平で口をきつく押さえていた。 「あ、は、よせ、今日はもうしたくない…んん!」 胸を喘がせた飛影の抗議は、尻の最奥にぐちゅっという音とともにねじ込まれた指によって中断させられる。 「あ!うあ!痛う!」 妖狐はいつだって意地が悪い。 お前の痛がる顔が好きだ、たまらなくそそる、と言って慣らしの足りない体を責める。 「痛いっ…やめ…あ、抜け…」 指がいきなり三本に増やされる。 潤いの足りないそこは、引き攣れて裂けそうになっている。 「は、なせ…痛っう!切れる!」 蔵馬を力いっぱい押しのけた拍子に指が抜ける。 ベッドから素早く立ち上がった飛影に、思いがけない言葉が投げられる。 「忌み子」 一瞬言われた言葉が理解できなくて、飛影はベッドの側に立ったままポカンと蔵馬を見る。 「来いよ、忌み子飛影。イタイイタイのとこ舐めてやるよ」 金色の瞳が、笑みに細くなる。 「……」 なんと返事をしたらいいのかわからない。 怒れば、まるでそう呼ばれた事に傷ついたと告白するようなものだ。 …そう考えること自体が傷ついてるということだろうか? 隙をついた蔵馬に腕を引かれ、押し倒された。 「お前は忌み子で幸運だったぞ、飛影」 「…何が言いたいんだ貴様は」 隣を気にして抑えた小さな声には、暗い怒りが篭っている。 「お前が女だったら、氷女だ。氷河から落っことされる事もなかっただろう。オレに会えなかったぞ」 「…は?」 嬉々として言われた言葉に面食らう。 「良かったな忌み子で。良かったな捨てられて。おかげでこんなにいい男に会えたんだぞ」 隣の女たちなんぞ、一生暗く湿っぽい人生じゃないか。 あんな氷の国にいたらこんないい男には会えないぞ。 「おまけにお前は出会えただけじゃない」 このオレに、愛されてるんだからな。 抱きしめられ、耳元で囁かれる。 あまりの自信家に、あまりのずうずうしさに、飛影は怒りも忘れて小さく吹き出した。 「ぁは…っ!…貴様は…本当に自惚れてるな」 笑いの発作に邪魔され、途切れ途切れに飛影はぼやく。 「そうか?本当の事だろう?」 蔵馬は心外だと言わんばかりの表情だ。 飛影は呆れたように小さく首を振ると、まだおさまらない笑いを堪え、ベッドに仰向けに倒れる。 「やる気になったのか?」 「ああ」 驚いた事に、飛影は仰向けのまま、自分で自分の両足を肩につくまで抱え上げ、尻の奥が丸見えになるほど足を広げた。 普段自分からこんな体勢を飛影は絶対にしない。し慣れない行為に頬を赤く染め、卑猥な笑みを浮かべる。 さきほど無理に指を挿れられたそこは赤く充血し、薄く血を滲ませている。 「…舐めろ」 「これはこれは。…いい眺めだな」 「さっさと舐めろ。オレは幸運なんだろう?隣の女たちに聞こえるくらい声を上げさせてみせろ色狐。オレを満足させてみろ」 「…了解」 安宿のベッドを軋ませ、二匹の獣は夜通し絡まり合った。 ...End. |