04.栄養剤

「はい。用意しておきましたよ」

とろっとした液体の中に赤い花びらが数枚浮かんでいる、小さな瓶がオレに手渡される。花びらはむしられているというのに艶やかで、液体の中で呼吸しているかのようだ。

いつも通り、オレは礼も言わずに受け取る。

「何か、持ってきた?」

蔵馬が尋ねるのもいつものことだ。

「…持ってきていない」

オレのこの答えも、最初の時と変わらない。
***
初めてこの薬を貰ったのは、随分前だ。
黒龍波を撃った後の冬眠から目覚めたオレに、蔵馬がよこしたのだ。

「飛影、これあげますよ」
「…いらん」
「中身の説明してないですよ、まだ」

目の前の綺麗な男は、笑った。

…それがどんなにこっちの心を波立たせるかも知らないで。

「これね、栄養剤なんだ。この瓶の…そうだな、半分くらい。そのくらいの量を事前に飲んでおけば、黒龍波を撃った後も三十分くらいは起きていられる。三十分あれば魔界でも眠るのに安全な場所にたどり着けるだろう?」
「撃つか撃たないかなど事前にわからん」
「でも分かっている場合は使えるじゃない?」

そう言われて、受け取らない理由はない。
オレは黙ってその小瓶を受け取った。
***
「あの栄養剤が、また欲しい」

そう言って人間界の蔵馬の部屋を訪ねたのは、しばらく経ってからだった。

「…いいよ」

蔵馬はいくつかの棚を探り、同じ液体の入った大きな瓶から小瓶に分けると、オレに差し出した。
黙って受け取ろうとした手を、パチッと、軽く叩かれる。

「お金、持ってきた?」

意外な言葉に、オレは目を丸くした。

「この間のは、サービス。いわば試供品ってわけ」

そうやって、お客さんを増やすんだよ。
商売ってそういうもんでしょ?
お金じゃなくてもいいよ。君は魔界にいるんだから宝石や、薬草なんかでも構わないけど。
うん、そうだな。お金よりそっちがいいな。人間界にいるとなかなか魔界の薬草を採取する機会がなくて。

蔵馬はにこっと笑って、そう言ってのけた。

金を持っていないわけではないし、人間界に住む蔵馬には手に入れにくいであろう薬草を調達してくる事だってもちろんできる。

だが、なんとなくそんなことを言われると思っていなかったオレはちょっと…へこんだ。
こいつがオレに見返りを求めるはずがないと、自惚れていたのだろうか?

「ま、今回はいいよ。次回は忘れないでね」

蔵馬の手がオレの手をつかみ、手の平に小瓶が乗せられる。

長く、綺麗な指。
引かれようとしていた手を、思わず握った。

「何?どうしたの?」

首を傾げる蔵馬。
綺麗な顔。綺麗な瞳。綺麗な声。綺麗な仕草。

オレは深呼吸をすると、できるだけ軽い、嘲るような口調を装って言った。

「…体で払ってやろうか?」

オレは薄く小馬鹿にしたような笑みを浮かべていたと思う。
胸の中で、核が爆発しそうに跳ねていることなどおくびにも出さずに。

沈黙。

大丈夫。オレが本気で言ったようには聞こえていないはずだ。
笑い飛ばされたら、オレも笑い飛ばしてこの部屋を出れる。

でも…本当は…

「オレが?飛影を?」

オレの薄い笑みは一瞬崩れる。

魔界でも人間界でも、蔵馬は相手になど不自由していない。不特定多数、選り取り見取りで楽しんでいるらしい。それはよくわかっている。
知っていた事を思い知らされて、またへこむ。

そこに、意外な返答が返された。

「…いいね。悪くない。おいで、飛影」

蔵馬がベッドに座り、手招きをする。
オレは、黙ってベッドに近づく。

…願いが、叶えられるとは思っていなかった。

本当は、ずっとずっと前から、望んでいた。
蔵馬に抱かれることを。

腕を強く引かれ、ベッドに押し倒された。
***
あれから何度こうして抱かれただろう。
情事の後の熱い体と頭で、回数を思い出すことなどできない。

ベッドから這い出て、床に投げ捨てた服を着る。

「帰るの?」

ベッドに肩肘をつき、半身を起こした状態の蔵馬が問う。

「…ああ。用は済んだ。代金分はちゃんと払っただろう」
「まあね。ベタベタじゃない?シャワー浴びていけば?」

これもまた蔵馬のいつものセリフだ。
そう言われてオレがシャワーを浴びて帰ったことは一度もないのに。

「せめて中をきれいにしてあげようか?掻き出しておかないと後でお腹痛くなるよ」
「関係ないだろう」

コートをバサッと羽織り、窓枠に足をかけた。

「待って。ほら、肝心の物」

テーブルに置きっ放しだった小瓶をあきれ顔の蔵馬に渡される。

「忘れちゃう程、良かったの?」

全裸なのも気にせず、月明かりの射す窓辺に立っている蔵馬の小憎たらしい笑み。

「…自惚れるな」

蔵馬は笑うと、またね、と手を振った。
***
大部分の者が寝静まっているこの時間の百足は、昼間の荒々しさとは違い、居心地のいいねぐらに思えた。

暗くひんやりした自室に戻り、服を脱ぐ。

服を脱いだ拍子に転げ落ちた栄養剤の入った小瓶を、部屋の隅にある木箱に無造作に投げ込んだ。
ガチャン、という音がしたが割れてはいない。何の材質なのかこの瓶は、投げ込んでも割れることはなかった。

もっとも、割れようがどうしようが構わないのだが。

木箱には蔵馬の手製の栄養剤の小瓶がいくつも入っている。
ほとんどの瓶は手付かずのまま、なみなみと液体が満たされている。

いつも通りシャワーも浴びずに裸になり、ベッドにもぐりこむ。
シーツに頭まですっぽりくるまり、深呼吸をする。

蔵馬の、匂い。

蔵馬とオレの、汗や精液や血液の、淫らな匂い。
蔵馬に抱かれた後のベトつく体のまま、こうやってオレは蔵馬の匂いに包まれて眠る。

とろけるような、眠り。

「ん……」

オレはベッドの中で足を広げ、さっきまで蔵馬の性器の入っていた箇所をゆるめてやる。
クチュ、と音を立て、蔵馬の精液がそこからゆるゆると流れ出す。

「ん、あ…」

尻に、太股に流れるそれをすくい取った指を、オレはきれいに舐めとる。
ゆるい流れを待ちきれずに、熱く息づく穴に指を差し込み、蔵馬の残滓をすくっては舐めるという下卑た行為に没頭する。

…栄養剤。

この液体こそが、オレの栄養剤。
口の中で熱くとろけて、体に熱が満ちてくる。

…次にこれが貰える日が、待ちきれない。

一滴たりとも残すまいと、オレはより深くまで、指を差し込んだ。


...End.