きらきら


ここがどういう場所なのか、いまだに飛影にはよくわからない。

もう少しで黒といってもいいような、一面の深い藍色に、砕いた宝石を山ほどちりばめたような銀河が横たわる、この世界。
見下ろせば、遥か下には青い川が音もなく、けれど一瞬たりともとどまることなく、流れ続けている。

年に一度だけ足を踏み入れることのできるこの場所が、なんであるのか、どこであるのか、飛影にはわからない。

足もとは歩調に合わせ、さくりと音を立ててはいるが、黒いブーツが踏みしめているのは砂なのか、水なのか、あるいは雲なのか。

小さな足は、きちんと目的を持って、きちんと歩く。
さくりさくりと足を進め、去年と同じ場所に座る男の隣に、静かに腰を下ろした。

「やあ、飛影」

一年ぶりのその声に、飛影は目を閉じ、長く息を吐いた。
***
長袖の白いシャツに、紺色のジーンズ。
長い黒髪は背に流し、裸足の足で、砂とも水とも雲ともつかぬきらきらしたものを、すくっては落とす。

「…元気だった?」

あの頃と変わらない、碧の瞳が優しくたずねる。
曖昧にうなずき、飛影は自分もまた、ブーツを履いた足先で、きらきらをすくう。

「そう。よかった」

川はさきほどまでと何も変わらず音もなく流れているというのに、飛影の耳には不思議な水音が聞こえている。本当に聞こえている音なのか、自分の頭の中にだけある音なのか、それもまた飛影にはわからない。

途切れぬかすかな水音に、甘く低い声がなめらかに乗る。
自分の右側に座る男と目を合わせることはせず、飛影は真下を眺め、水の流れに耳を澄ます。

「大事にされてる?」
「ああ」
「ちゃんと、愛し合ってる?」
「……ああ」

行ってこいよ、気をつけてな。

昨夜、そう言って自分に口づけた銀色の男を、飛影は思い出す。
毎晩共に眠る寝所で、銀色の髪にからめた指を急に強く引かれ、金色の瞳に射すくめられ、告げられた言葉。

飛影。
必ず帰ってこいよ。

「…飛影」
「なんだ」
「後悔してるの?」

他のどんな時であれ、どんな意味であれ、後悔などというものを飛影は決して認めたりはしない。
だが今は、眼下の川から視線を引きはがし、唇を噛んだ。

認められなかった。
狐の蔵馬も、人間の蔵馬も、どちらも手放すことはできなかった。

いずれ、人間の蔵馬は命を失う。わかっていたことだった。
それは天命であったし、単純な事実でもあった。

それでも、蔵馬はずっと飛影の側にいた。
黒髪が銀髪になり、碧の瞳は金色に輝いた。二回りも大きくなった姿となって、変わらず飛影の側にいたのに。

蔵馬の中には、もう一人の蔵馬がちゃんといる。
姿が変わるだけで、蔵馬は蔵馬だ。
誰もがそう言ったし、実際そうなのだ。

なのに。

お前も手放すことはできないと、離れることはできないと、飛影はあの日泣いた。
死の床にある枯れ枝のような手を握りしめ、生まれて初めて、泣いたのだ。

そして今、この藍色の銀河に、二人はいる。
***
途切れることのない、水音。
手のひらひとつ分ほどの間を空けて座る二人は、互いの体に触れるでもなく、流れる水を見つめ、銀河を眺める。

「…オレと会う時以外のお前は、何をしているんだ?」

髪をかきあげ、蔵馬は首を傾げる。

「さあ…よくわからないな。寝てるのかな」

流れる水。藍色の中をきらめく銀河。

「オレが……お前をここに閉じこめたんだな」
「…そうだね」

恨むでも、怒るでもない、おだやかな声。
一年ぶりに聞く声は、去年と、一昨年と、百年前と変わらず、たっぷりと滴るような愛を含んだ、声だった。
***
「あ」

どれぐらいの間、二人は沈黙していたのだろう。
ふいに、蔵馬が声を出した。

「呼んでるよ。蔵馬が」

そろそろ帰らなくちゃね。
にっこり笑って、銀河の果て、川の行く先、どことも知れない場所を、蔵馬は指さす。

立ち上がり、手で払ったジーンズからは、きらきらが舞い散った。
無言のまま立ち上がり、飛影は同じようにコートを払う。

「来年、またここへ来る?」

もう来ない。
これで終わりだ。

悪かった。
オレが、悪かった。

…オレを、許してくれ。

用意していた言葉は、飛影の胸の中で砕かれ、銀河の中にまざってしまう。
まざってしまったものは、きらきらと光り、もう見分けがつかなくなっていた。

「また……来る」
「…そう」

風もないのになびいた髪をおさえ、蔵馬は微笑む。

「ここで、待ってるよ」

だから、と蔵馬は続ける。

「泣かないで。飛影」
「…泣いてなど、いない」

頬をすべり落ちるものもまた、吸い込まれるように、銀河にまざる。
藍色のこの世界では、なにもかも、きらきらになる。

さくりと、飛影は踏み出す。
最初はゆっくりと、やがてきらきらを蹴散らすように、走り出す。

振り返るな。
自分に言い聞かせ、風のように走る。

振り返ればきっと、そこには何もない。
藍色と、銀河と雲と砂と水とが、ただきらきらしているだけなのだから、と。
***
もう少しで黒といってもいいような、一面の深い藍色に、砕いた宝石を山ほどちりばめたような銀河が横たわる、この世界。
見下ろせば、遥か下には青い川が音もなく、けれど一瞬たりともとどまることなく、流れ続けている。


...End.

2014年7月7日までの限定アップ。
七夕話というのは多分初めてのような?どうだったかな??
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