Ruby -from くろねこライフ-


「なんかなー。違うなー」

違う違う。これは全然違うし、これもちょっと違う。
ぶつぶつ言いながら歩き回る妹を、ソファに腰掛けたまま兄は目で追った。
磨き上げられた木の床が美しい、広い店内には、たくさんの靴、革や布の見本が並べられている。

ソファと並べられた、小さな木のテーブルにはティーポット。大きなトレイの上には、ずらりと並ぶカラフルなプチフール。
雪菜がこの店の得意客だということが、飛影にもわかる対応だ。

オーダーメードの靴屋だというこの店は、雪菜とその飼い主の躯にとって、行きつけの店であるらしい。二人の名が記された木型が、大切そうに並べられていた。
買い物にも、靴の群れにも、すっかり退屈した飛影は、菓子を頬張り、店内に飾られた大きなクリスマスツリーを眺めていた。

「赤に金がいいかな…緑に黒もいいし」

おっそろしい靴、と飛影が内心思っているピンヒールの靴の見本が、雪菜の前に並べられている。
こんな靴を履いてよく歩けるものだと、黒いしっぽが力なく垂れる。

「ねえ、兄さんはどっちがいいと思う?」

並べられたいくつかの革見本を、飛影は見下ろす。
こっちがいいと思う、と言ったところで、女というものは自分のいいと思っている方を支持しない限り機嫌を損ねる、あるいは意見を聞いておいて無視をする、ということを、妹の買い物に何度も付き合わされるうちに、飛影は学んでいた。
かといって、お前がいいと思うものにすればいい、という回答もまた間違いであることも、飛影はもう学んでいる。

「…赤がいいんじゃないか?」

雪菜の飼い主である女を思い浮かべながら、飛影は答える。
自信家で豪快で、それでいてしなやかな美しさがある、それが雪菜の飼い主だった。

「やっぱり!? 赤がいいと兄さんも思う?」

そうだよね、やっぱり赤だよね。うん、赤にする。
じゃあこれ、クリスマスまでに仕立ててね。箱は黒にして。

妹のその嬉しそうな顔。
どうやら今回は間違わずに答えられたらしいと、兄はホッとする。

山ほどの見本や木型に囲まれていた店主も、わがままな得意客の上機嫌に、ありがとうございますと笑みを浮かべた。
***
「何か食べてく?付き合ってもらったからご馳走するよ?」

黒い耳の突き出した頭を、飛影は横に振る。

外国の本ばかりの本屋。たくさんのガラス瓶を前に人間たちがあれこれと調合をしていた香水の店。不思議な香りの満ちた、万年筆ばかりを扱う店。見たこともないドライフルーツを並べた店。

躯へのクリスマスプレゼントを買いたいという妹に、一日中付き合わされた。とどめの靴屋で待たされていた間、食べ続けていたプチフールで、すっかり腹は満たされていた。これ以上食べては夕食が入らない。

「いらん。暗くならないうちに家に帰れ。送るから」

冬の日暮れは早く、夜道を心配した兄だったが、それはいらない心配だ。大金持ち、というしかない飼い主に飼われている妹ネコは贅沢にすっかり慣れている。車呼んであるもん、兄さんも送るからね、などと笑う。

「兄さんは、クリスマスプレゼント買わないの?」
「さっき買ってやっただろ」

香水の店で、クリスマスプレゼントにと雪菜にねだられて買ってやった、雪の結晶のような形をした瓶を飛影は思い出す。

「違うよ。私じゃなくて、蔵馬さんに」

今がクリスマスといわれる季節で、家族や恋人やあるいは友人や隣人に、プレゼントを贈ったり贈られたりする習慣がこの国にあることは、去年初めて蔵馬とクリスマスを過ごした飛影も知っている。
蔵馬が去年、飛影にくれたのは大きくぶ厚い、ふかふかの毛布だった。遠い国から取寄せたのだというそれは肌触りがとても良く、飛影はすっかり気に入ってしまい、去年も今年もぬくぬくとくるまって冬を過ごしていた。二人で入るのにちょうどいい大きさのそれは、二人で使うとなおさら暖かかった。

貰った毛布にくるまり顔だけ出し、何か欲しい物があるならやると言った飛影に、蔵馬は欲しい物は何もないと去年も今年も笑った。

「ええー。そんなのだめ」
「だって何もいらないって言ってたぞ」
「躯だって、聞けば何もいらないって言うよ」

石畳の道にテーブルと椅子を並べているカフェに雪菜はサッと座り、座れと向いの席を指す。どうやらこの店に迎えの車が来るらしい。
大人しく座った飛影に、かわいい顔でお説教を始めた。

「兄さんだって、欲しい物なんかないでしょ」
「ない」
「でも去年貰った毛布、嬉しかったんでしょ?」
「ああ」
「じゃあつまり?」
「つまりって…?」

もう、わかってないなあ、と雪菜は大げさに溜め息をつき、注文を取りに来たウェイターに、ホットチョコレートを二つと注文した。

「あのね」

相手が欲しい物を、考えるの。
受け取った時に喜ぶ顔を思い浮かべて、一生懸命考えるの。
一緒に生活しているんだから、相手が何を喜ぶのかわかるはずよ。

「欲しくない物を貰ってもしょうがないだろう?」
「だから、探すの!欲しくなくても貰ったら嬉しい物を探すの。恋人なんだから!」

小さく華奢なカップに注がれたホットチョコレート。受け皿に添えられたビスケットをホットチョコレートにつけ、雪菜は上品に口に入れる。

「…そんなこと言われても。何をやりゃいいんだ?」
「それを考える時間も、プレゼントなの」
「面倒くさいことを…欲しい物があるなら言えばいいだろ」
「ちーがーいーまーすー。そうじゃないの。わかってないなあ」

蔵馬の喜びそうな物?
雪菜を真似てカップにビスケットをひたし、飛影は考え込みながら口をつける。

近付いてきたウェイターが、テーブルの上のランプに火を灯した。
二人の白い顔を、突き出した耳を、あたたかなオレンジ色の光が照らす。クリスマスを意識してのことなのか、ランプは赤や黄色のガラス細工で飾られていた。

「プレゼントか…」

さくりとビスケットを噛み、飛影は首を傾げた。
***
石畳やレンガでできている街並みは、通りを飾るクリスマスリースや、窓辺に庭に覗くツリーの明かりに、ぼんやりと綺麗だった。
暖房の効いた車での帰り道、飛影は去年のクリスマスを思い出す。

どこからか貰ってきたもみの木に、蔵馬は臙脂のリボンと金色の砂が入ったガラスのボールという、シンプルな飾り付けをしていた。クリスマスの後、もみの木は庭に植えられた。今年は庭に植えたまま飾りを付けるのだろう。

肉より魚を好む飛影のためにと、特製のソースをかけたロブスターをオーブンで焼き、サーモンのキッシュやオニオングラタン、たっぷりのクリームと苺で飾り付けたケーキも作ってくれた。
満腹の腹を抱え、二人で毛布にくるまり、雪菜からのプレゼントだった、大きな箱に入ったチョコレートをつまみながら、ぬくぬくと楽しく、夜を過ごした。

「ちゃんと、考えなさい」

念を押す雪菜に向かって、車から降りた飛影は曖昧に頷く。
何か贈りたい、という気持ちは飛影にもあった。ただ、何を贈ればいいのかさっぱりわからなかった。

「おかえり」

いつもの黒いエプロン。いつもの笑顔。
コートを脱いで、手を洗ってきた飛影は、テーブルにつく。

「蔵馬」
「はい?」

ちりちりと音を立てていたフライパンに、茹で上がっていたパスタと何種類かの貝を放りこんだ蔵馬が振り向く。

「何か、欲しい物はないか?」
「欲しい物?」

ニンニクとオリーブオイルの、いい匂い。
フライパンの中の貝たちが、次々に口を開けていく。

「この間も言ったけど、別にないよ」
「クリスマスとやらなんだろう?何かないのか?」
「そんなこと、気にしないでよ」

にっこり笑いながら、蔵馬は言う。

「何もいらないよ。君がいるだけでプレゼントみたいなもんだよ」

そういう問題じゃない、と赤面した飛影の前に湯気の立つパスタの皿が置かれ、コップには牛乳が注がれる。
好物のツナサラダのボウルも並べられた。

「はい、どうぞ」

なんだかごまかされたようで、フォークを手に、飛影は口を尖らせた。
***
本じゃない文具じゃない香水じゃない石鹸じゃない靴じゃない服じゃない鍋じゃない食べ物じゃない。

もともとクシャクシャの髪をさらにかきむしり、飛影はしかめっ面をした。何を贈ったところで、蔵馬は喜ぶだろう。以前に花を贈った時だって、とても喜んでいたのだから。

「まだ、決まらないのー?」

大きなビルの30階。
雪菜の住まいであるそこで、豪華で大きなソファに腰掛けた雪菜は、アイスクリームが美しく盛りつけられた銀器を差しだす。

「思いつかん。クリスマスに花でもいいのか?」
「いいけどー。残る物の方がいいなー」
「それはお前だろ」

エスプレッソのかかったアイスクリームを食べながら、飛影は深い溜め息をつく。
クリスマスは間近だというのに、まだ何も思いつかないのだ。

「だいたいお前が変なこと言うからだ」
「変なこと?」
「蔵馬なら…俺がやった物ならなんでも喜ぶはずなのに、ちゃんと考えろとか言うから」
「それ、のろけてるの?」
「違う!」

銀のスプーンに噛みつく勢いで、飛影は否定する。
ピルッ、と小さな音が部屋に響く。

「雪菜、降りてこい」

インターホンごしに躯の声がした。
嬉しそうに立ち上がった雪菜が、兄さんもきて、と飛影の手を取った。
***
ビルは1階から7階までが一般の客を相手にするジュエリーショップ、8階から20階までは宝石職人や事務員たちの仕事場、29階は金庫で、21階から28階まではワンフロアに1組ずつしか案内しないという、オーダーメードジュエリーのサロンになっている。

28階のその部屋、優しい笑みを浮かべた躯の前には、来客用の椅子に座り、目を閉じる雪菜。
躯の右腕だという無骨な大男が、似合わぬ繊細な手付きで、雪菜の頭にティアラをそっとのせる。大きなサファイアを中心に、ダイアモンドで彩られたそれは、シャンデリアの光を反射し、素晴らしく輝いた。

「いかがでしょう?躯様」
「いいな。サイドの石はもう少し後ろにしろ。その分ダイヤを増やせ」
「かしこまりました」
「それで進めろ。やはりお前はうちで一番の腕だな、時雨」

もったいないお言葉、と男は頭を下げる。
水色の髪を撫で、ティアラを躯はそっと下ろし、男へ渡す。

「なんで目を閉じてるんだ?」

目を閉じたままの妹を不審に思った飛影が問う。

「もー。兄さんてば。貰う時の楽しみにしたいからに決まってるでしょ」

何を言っているのかと言わんばかりの雪菜の返答に、飛影は肩をすくめる。まったくもって、女心はわからない。
箱へとティアラをしまう時雨を見つつ、部屋をぐるっと見渡した。

広々としたフロアには応接セットが置かれ、そこここに、値段のないアクセサリーや宝石が飾られている。
自分とは縁のないそれらだったが、飛影はふと、ひとつの石に目を留める。

血のように、赤い石。
真円のそれは複雑なカットが施され、こっくりと深い色をしていた。

「それは、ルビーだ」

いつの間にか後ろに立っていた時雨が、ぼそっと言う。

「ルビー?」
「そうだ。これはルビーの中でも、ピジョンブラッドと呼ばれている」
「ピジョン…」
「意味は、鳩の血の色、だ。血のような深紅だろう?」

飛影はもう一度石を見下ろし、顔を上げた。
当然のことだが、この部屋にはたくさんの鏡がある、そこに映る、顔…そして瞳…

「この石は、お主の目に似ておるな」

思っていたことを言われ、飛影はちょっと驚いた。
自分でもそう思ったのだ。この石は、自分の目のようだと。

自分の、目。
何か思いついたのか、飛影は目を瞬かせる。

「これは…このルビーとかいう石は、首輪にもできるのか?」
「もちろんできるが、お主は首輪をしておろう」
「俺じゃない」

二人の会話を、面白そうだと女二人も耳をそばだてている。

「人間用の、首輪だ」
***
一か月ほど前に作ったシュトーレンを薄く切る。
オーブンの中ではタラのパイ包みがこんがり焼けている。エビのビスクも、かきのグラタンも熱々だ。冷蔵庫には、ぶどう酒とクリスマスケーキも待っている。

時計を見て、心配そうに眉をひそめた蔵馬だったが、玄関から聞こえた、にゃあ、という声に、満面の笑みを浮かべた。

「おかえり。遅いじゃない」

表の寒さに、鼻や頬を赤くし、白い息を吐く、くろねこ。

ふっくらとした黒いコートに、蔵馬には見覚えのない、黒いミトンの手袋をしている。妹からのクリスマスプレゼントなのだろう。
すたすたとキッチンへ向い、ご馳走の並ぶテーブルについた飛影に、手を洗っておいで、と蔵馬は笑う。

「手袋をしてたからいいんだ」
「そんな理屈ないけどねえ」

笑いながら、オーブンから出した大皿をテーブルに置いた蔵馬だったが、目の前に、平たい箱を突き出される。

艶のある、黒い箱。
金色のリボンがかけられていた。

「やる」
「え?俺に?」

驚いた顔をした蔵馬だったが、素直に受け取る。
椅子に座り、丁寧に箱を開けた。

「これ…」

箱の中身は、ネックレスだった。
ゴールドの細い鎖に、小指の爪ほどのサイズの、丸いルビー。

「ルビーかな?こんなに赤いの初めて見たよ。なんだか、君の瞳みたいだ」

得意げな顔をした飛影が、箱からそれをつかみ取り、ぴょんとテーブルを飛び越え、蔵馬の膝に着地する。
ネックレスの留め金が上手く扱えないのか、自分の首の後ろでもぞもぞする飛影の手のくすぐったさに、思わず蔵馬は身をよじり、笑い出した。

「ちょ、待って…くすぐったい」

息を整え、蔵馬は自分で留め金をぱちんとはめる。
長い首筋に輝く赤い石に、満足そうに飛影は頷いた。

「ありがとう。すごく嬉しいよ。でもどうして?」

膝にのったままのくろねこを抱きしめ、蔵馬が尋ねる。
ネックレス、というのはずいぶんと意外な贈り物だったからだ。

「これは…」

飛影は自分の首、綺麗な石の付いた、首輪を指す。

「これは、俺がお前のネコである証なんだろう?」
「そうだよ」
「だから」

ルビーそっくりの、赤い瞳が笑みに細くなる。

「だから、これはお前が俺のものである証だ!」

言うなりひらりと蔵馬の腕を抜け、またもやテーブルを飛び越える。
いかにもネコらしい身の軽さで向いの椅子に戻った飛影は、パイ包みの魚にフォークを立てる。

サロンで見た大きなルビーは飛影には到底買えない値段だったが、躯はお前から金を取る気もない、やるぞと言った。
けれどどうしても自分で買いたくて、同じくらい赤いルビーで、サイズの小さな物を探してもらったのだ。金貨5枚で買ったそれは、蔵馬によく似合い、飛影としては大満足だった。

「飛影」
「なんだ」

口いっぱいに料理を頬張っているせいで、にゃんだ、と聞こえる。
ほんの一口のぶどう酒のグラスと、たっぷり注いだ牛乳のコップを渡してやりながら、蔵馬は囁く。

「メリークリスマス」
「ああ」
「来年も、再来年も、俺を君のものでいさせてね」
「いいぞ」

あっさりと答え、スープの皿を引き寄せた飛影に、蔵馬は微笑んだ。
自分の分のグラスを取ると、小さく乾杯の仕草をする。

来年も、再来年も、その先も、
どうかこのくろねこと一緒に過ごせますようにと、
心からの願いを込めて。


...Merry Christmas...


...End.

2013年12月25日までの限定アップ。
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