月夜にヒラヒラ


「お菓子をくれないと…」

耳元で囁く声は、いつもの声とは違い、艶を帯びているように感じた。
普段のようにぶん殴ることも、怒鳴りつけることもできない相手。

「…いたずらしますよ?」

冷たい指が、飛影に触れた。
***
「なんで…」

ここに?何してるんだ?という言葉を、飛影はかろうじて飲み込んだ。
パトロールを終え、戻ってきた部屋には来客がいた。

殺風景な部屋、唯一の家具であるベッドの端っこにちょこんと腰かけ、蒼い瞳を好奇心で輝かせて。

「お邪魔してます」

屈託のない、笑み。
いつもの和服ではなく、着ているのは黒いワンピースに黒いブーツ。カチューシャにくっついている二か所の白いふわふわの三角は、どうやら猫の耳を模しているらしい。

腰かけた膝の上、ほのかに甘い匂いを放つ、大きな黒い箱。

「こんばんは。飛影さん」
「…どうしてここにいる?」

魔界。
移動要塞百足。
No.2の自室。つまりは飛影の部屋。

人間界で暮らしているはずの妹がなぜここにいるのかわからず、飛影は口をぽかんと開けている。

「おい…」
「Trick or Treat?」

ベッドから立ち上がり、雪菜はさらに笑みを深くし、異国の言葉を、歌うように言った。

「こう言うんですよね?人間界のお祭りでは」
「人間界だと?」

人間界?
祭り?

そういうことかと、飛影は小さく舌打ちをする。

祭りだから来て欲しいだの、幽助たちも待ってるだの、美味しいものもたくさん用意しているからだの、蔵馬からのあの手この手の誘いを飛影はことごとく断った。
その手の人間界の祭りに参加するとろくな目に合わないということはもう十分に、十分すぎるほどに、わかっていたからだ。

「飛影さん?」
「な、なんだ。だいたいお前どうやってここへ…」

普通に、来ました。幽助さんと。
あっけらかんと、妹は言う。

なんでも、雪菜を魔界へ“エスコート”してきた幽助は、躯宛てだという手紙と共に、雪菜を百足に送り込んだのだと言う。

「あいつら…!」

飛影の言葉は、無論、幽助に向けられたものではない。
その後ろにいる、黒幕の蔵馬、及び自分の上司でもある躯に対して、だ。
面白がってこの部屋まで案内する躯が、目に浮かぶようだった。

「これ、蔵馬さんからです」

にこにこと箱を差し出されては、受け取らないわけにもいかない。
ずっしり重い箱の中には、カボチャのパイやプリン、チョコレートやらクッキーやらキャンディやら、菓子がぎっしり詰まっている。

「これを届けに…?」
「はい!あと、お菓子ください!」
「…は?」

ふざけた顔の描かれたカボチャのクッキーをひとつ摘まんだところだった飛影が、箱から顔を上げる。

「お菓子、ください!」
「…そんなもの、ここにあるわけないだろ」

すっかりペースを乱されて、飛影はあたふたする。

お菓子?
何を言ってるんだ?

「お菓子をくれないと…」

いつの間にやら、ベッドに座っていた飛影の隣に、雪菜も座っている。
ぴたりと体をくっつけて。

「な、お、おい…」
「お菓子をくれないと…」

…いたずらしますよ?

綺麗な白い手が、飛影の髪に触れる。
そのままなめらかに頬をすべり、指先が唇をかすめる。

驚いて後ずさった飛影の手から落ちたクッキーを、もう片方の白い手が、素晴らしい反射神経でやすやすと受け止める。

「冗談です。飛影さんてば」

唇から、指が離れる。
受け止めたクッキーを頬張り笑う雪菜に、飛影が深々とため息をつく。

「……まったく」
「うふふ。じゃあ、行きましょうか?」
「どこへだ!?」

てきぱきと箱に蓋をし、これは躯さんにあげましょう、と雪菜は一人頷き、飛影の手を引いて立ち上がる。

「お菓子を貰えなかったら、代わりに飛影さんを連れて帰ってくるように蔵馬さんに言われてるんです」
「なんだと?なんでオレがそれに巻き込まれ…」
「じゃあ、お菓子ありますか?」
「ない!だからってオレがな…」
「お菓子ないんですよね?」
「ま、待て!じゃあこれを返す!」

蓋を閉めた箱を突き出してみたが、雪菜は駄々っ子をなだめるように笑うだけだ。

「それはダメです。ルール違反です」
「いったいなんのルールだ!?」
「お菓子ないなら、行きますよ」
「おい…!」

手を繋いだまま立ち上がった双子は、同じような背の高さ。
黒いワンピースと黒いコートも、ちょうど同じ長さで。

「なんだか」

おかしそうに、雪菜が振り向く。

「なんだか、今日の私たち、似てませんか?」

無邪気な妹に、飛影は詰まる。
その服を選んだのはあのヤロウだろうが、とはまさか言うわけにもいかない。

ひとりはワンピースの裾をはためかせ、ひとりはコートの裾をはためかせ、双子は揃って百足を出る。
妹の軽やかな足どりに、少し慌ててついて行く兄。

黒くヒラヒラと、同じ小さなシルエットを、魔界の月夜に映しながら、
ふたりは人間界を目指した。


...End.
2013.Halloween 10月31日中限定アップ
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