小さな妖怪


みなさん意外に思われるかもしれませんが、魔界には暦も時計もあるのです。

日付や時間を妖怪たちが気にするのかって?
それはそうです。人間界ほど細かな時間が必要なわけではありませんが、魔界なりに、日時や時間という概念がなければ困ることもありますからね。

誰それと決闘の約束をするとします。
いついつにどこどこ、そう決めたところで時計がなければどちらかが待ちぼうけをくわされます。
コンビニも本屋さんもない魔界で、待ちぼうけは大変腹立たしいことで、決闘にも悪影響を与えかねません。
数は少ないとはいえ“仕事”というものを持っている妖怪もおりますし、彼らにとっては今が何時で、何時にどこにいなければならない、ということは重要です。

そんなわけで、魔界にも簡単な暦や、秒針こそないものの、時計らしきものがあるのです。

さて、人間界では神様を信じてもいない人間たちがバカ騒ぎを繰り広げる、聖夜が近付いてきたようです。
しかめっ面で暦を見つめる、小さな妖怪からお話を始めるといたしましょう…
***
「…どういうことだ?」

時雨の貼り出した、人間界でいうところの十二月のパトロールのスケジュールが書き出された巻紙は、ずいぶんと偏った割り当てが組まれていた。

「どういう、とは?」
「なぜこの日とこの日だけ、休みのやつが多い?」

飛影は、暦を指差し、時雨に詰め寄る。
それは十二月の二十四日と二十五日で、休み申請の赤い丸が、その二日だけ異常に多かった。

百足では、人間界の暦を使っている。
なにせ“仕事”は魔界に紛れ込んでしまった人間たちの発見および回収および送還、なのだから、人間界の暦が必要なのだ。平日や休日、各種行事や祝いの日など、人間たちの動向で、魔界に落ちる人間の数も違うからだ。

「なんだってこんなに休みのやつが多い?」

もう一度、飛影は聞いた。
休む者が多ければ、当然自分のパトロール区域の割り当てが増える。
仕事嫌いの飛影としては、まったくいい迷惑というわけだ。

「クリスマスだからだ」

目の前のむさ苦しい大男が発した言葉に、飛影は目を丸くする。
なんという、クリスマスという言葉の似合わない男だろうかと。

「…クリスマスだと?それが魔界で何の関係がある!?」
「お前のように、人間の恋人を持つ者がいるんじゃないか?」
「オレは人間の恋人など持ってない!蔵馬は妖怪…っ!」
「狐と恋仲だとようやく認めるのか?」

飛影はぐっと詰まる。
蔵馬にしろ躯にしろ時雨にしろ、飛影を言い負かしてばかりいる。

「冗談だ。さすがに人間を恋人にはなかなかできんだろう。ただ見物しに行くんだろう」
「人間界の祭りのために休みを取っているというのか?」
「最近、人間界の様々な情報が百足にもくるようになってな」

それで、クリスマスとやらの紹介を目にしたやつらが、行きたい行きたいと大騒ぎしていた。光で飾られた建物や木なんぞ、魔界にはないものだからな。
人間界見物に出かけようと、みな同じ日に休みを取ったのだろう。

「まあ、なんとかパトロールはまわせるだろう」
「チッ!どいつもこいつも…」

急に、飛影の言葉が途切れた。

「どうした?」
「…なんでもない」

心なしか沈んだ声で、飛影はぷいっとその場を去る。

足音も荒く自分の部屋に戻った飛影は、剣を床に投げ出し、汚れたコートもブーツもそのままに、ベッドに倒れ込む。
白いシーツの上で小さな体をいっそう小さく丸め、何やらぶつぶつこぼしながら、ブーツを脱ぎ、蹴り飛ばした。
***
さて、みなさんにはもうおわかりですね?
この小さな妖怪がなぜ急に機嫌を損ねたのかを。

嫌いな仕事の割り当てを増やされたから?
いいえ。

人間界の祭りなどという軽薄なものに、妖怪たちがすっかり魅せられているから?
いいえ。

そうです。
小さな妖怪は、恋仲であるはずの妖怪が、今年は自分を誘ってこないということに、気付いてしまったのです。

もちろん、毎年毎年、花火だ海だクリスマスだ正月だバレンタインだと、人間界の習慣を押し付けてくる恋人に、知るか、うっとうしい、この人間かぶれが、とつれなくしてきたのは事実です。
けれども、恋人はそんなことにめげる者ではありません。
毎年懲りずに誘いをかけ、強引に参加させるという手法をとってきたのです。

なのに。
今年はどうしたというのでしょう?

小さな妖怪は、すっかりふて腐れて、大きなベッドで眠ってしまったようですよ…
***
「いらっしゃい飛影。会いたかったよ」

窓辺に降り立った途端、飛影の体は蔵馬にすっぽり包まれる。
パトロールの休みの日は大抵こうして、人間界の蔵馬の部屋を訪れるのがもはや飛影の習慣となっている。

雪こそ降っていないものの、人間界はすっかり冬で、窓辺の二人の息は白い。

部屋はしっかりと暖められ、テーブルの上には食器が並べられている。
キッチンではビーフシチューの鍋がコトコトと湯気を立て、オーブンの中では野菜が香ばしく焼けていた。

ホットカルピスのマグを持たされた飛影は、促されるまま椅子に座り、すでに並べられていたサラダに箸をつけ、温かく薄甘いカルピスをすする。

美味しそうな匂いに満たされたキッチン。ガス台とオーブンの間を忙しなく行き来し、食事を用意する蔵馬の背中。
飛影はそこからふっと目をそらし、部屋の中から目的のものを見つけた。

壁に掛けられたそれは両手に乗るほどのサイズの、小さなカレンダーだ。

24、25、どちらの数字にも、何のしるしも付いていない。
飛影が訪れた今日この日には、赤いハートマークが恥ずかしげもなく印されている。

「どうぞ。半日も煮込んだから、とろっとろだよ」

満面の笑みとともに、並べられた皿。いただきますも何もなく、飛影は食べ始めた。

大きなかたまり肉はやわらかく、香りのいい茸とともに煮込まれている。焼き野菜は蔵馬特製のソースをまとい甘く香ばしい。さくさくのパンも、りんごの入った甘酸っぱいサラダも。
蔵馬の料理はいつも通り美味だった。

妖怪らしい旺盛な食欲で料理を貪る飛影を、蔵馬は嬉しそうに見つめている。

「…じろじろ見るな」
「いいじゃない。君が美味しそうに食べてるの見るの、幸せだよ」

これまたいつも通りの文句に、いつも通りの返事が返される。
こうしてあたたかな食事を共にとる十二月も、もう何度目になったのか。

壁の小さなカレンダーの24、25には、何のしるしも付いていない。

「…蔵馬」
「はい。なんです?」

おかわり?と微笑む顔に、飛影はイラッとする。

「…今日は、食ったら帰るからな」
「えー。そうなの?」

シーツもアイロンかけておいたのにな。
こんなに寒いのに、帰っちゃうの?

いつもなら、もっと残念そうに、しつこく引き止める。
あるいは、じゃあキスだけなどとねだって、そのまま強引にベッドへ引き込まれるというのに。

「じゃあ、気をつけて帰ってね」

たっぷりの食事が終わり、飛影の首元に白布を巻いてやりながら、軽く唇が触れ合うだけのキスを、蔵馬は飛影の唇に落とす。

十二月の冷たい夜空を、飛影はかけた。
***
おやおや。
泊まっていく予定を切り上げて、小さな妖怪は帰ってしまったようです。

小さな妖怪は意地っ張りですので、今年はどうしてオレを誘わないのかなどと、素直に聞くことはできません。
人間界の行事になど興味はないと、宣言してきたのですからなおさらです。

せっかくの美味しい食事だって、悲しい気持ちで食べてはあんまり美味しくありませんね。

冷え切った暗い部屋に帰ってきた小さな妖怪は、またもや剣を放り出し、ベッドにころんと寝ころんでいます。

満たされたお腹と、満たされない心を抱えた小さな妖怪。
今夜はどうやら、眠れないようですね。
***
「…こんなにか?」

飛影は眉をしかめる。
今日と明日はパトロール区域が多くなることはわかってはいたが、渡された地図に付けられた色は思ったよりもずっと多く、げんなりしてしまう。

おまけに、誰が飾ったのかは知らないが、廊下や闘技場のそこここに、色ガラスを嵌め込んだランプが吊るされていて、今日が何の日であるか、嫌でも知らされる。

「そういえば、お前は休みを取らなかったのか?」

今気付いたらしい時雨が、不思議そうに問う。
この無骨な男の想い人はいつでもこの百足にいるので、自身は人間界の祭りなどに、何の興味もないようだ。

「……なぜオレが休みを取らなければならない?」

似合わぬ低い低い声で、元々の不機嫌をさらに上昇させて、飛影は時雨を睨む。

「逢瀬はないのか?」
「くだらん。なぜオレが蔵馬と…」
「狐とは、言っておらん」
「……!!!」

頭にきた飛影は地図をぐしゃりと握りつぶしてポケットに押し込み、風のように出て行った。

機嫌の悪い上司ほど、厄介なものはない。

飛影と同じ班のパトロールの者たちにとっては、まったく災難な一日となった。
***
もちろん、お休みの日にだって、働くひとはいるものです。
だからこそ、楽しめるひともいるわけですからね。

けれど、この小さな妖怪は、まだまだ子供なのです。
魔界でいえば、赤ちゃんも同然の若さなのです。

もっと素直に、自分の欲しいものを、欲しいままに求めてもいいのです。

もっとも、欲しいもの、がなんであるのかを、
苛立つ自分の感情が、さみしい、というものであるということも、
この小さな妖怪はまだ、よく分かっていないのかもしれませんね。
***
「くそっ…あいつら、殺してやる」

今日休みを取った者を呪いながら、飛影は廊下を重い足取りで歩く。

疲れただとか、しんどいだとかは無縁である飛影にとっても、今日はまったくハードワークだった。

割り当て区域は信じられないほどに広く、迷い込んだ人間たちも普段よりずっと多かった。一日中フルに邪眼を使い続けた飛影は、めずらしくも頭痛さえ感じているという有り様だ。

ひどく空腹でもあったが今は疲れ果て、何より横になりたいと部屋の前まで戻ってみれば、誰の仕業かわからないが、他の場所に吊るしてあったのとは違う、一際輝く細かな細工の施されたランプが、扉に吊るされている。

カアッと、なった。

鞘に収めたままの剣の一振りで、華奢なランプを粉々に砕くと、飛影は扉を乱暴に開けた。
***
とっても綺麗なランプだったのに。

その綺麗なランプが、他の場所に吊り下げられていた、造りの荒い安っぽいランプとは全然違うランプであることに、小さな妖怪は気付かなかったようですね…
***
冷たく暗い部屋の扉を開けたはずなのに、そこは眩しいほどに明るく、体がほどける暖かさだった。
馴染んだ香りに気付くよりも先に、しなやかな腕につかまった。

「おかえりなさい」

がばっと抱きつかれたせいで、飛影は思わずよろめいた。

「くら……ここで何して…」

装飾品のない飛影の部屋はいくつものランプで照らされ、ろくに使っていない暖炉には、たっぷりの薪が音を立てている。

それより、何より。
なぜ、蔵馬がここに?

「おい…」
「来ちゃった。ごめん」

ごめん。
君はこういうイベントとか好きじゃないって言うから、今年は無理強いはしないでおこうと思ったんだけど。

そう言いながら、蔵馬は飛影の手を引いて、ベッドに並んで座る。
ぽかんとしている飛影は、なすがままだ。

「でも、やっぱり君と一緒に過ごしたくて」

なのに、パトロールがぎっしり詰まっているし。
やっぱり、クリスマスなんて興味ないんだなって分かったんだけど、でも来ちゃったし。
顔を見て、ご飯だけでも一緒に食べれたらいいなって。

蔵馬はらしくもなく、言い訳じみた言葉を並べる。

「…蔵馬」
「勝手に来ちゃって、怒ってる?…って、飛影?」

ぽふっ、と、飛影の頭が蔵馬のセーターの胸に、埋まる。

「…疲れた」
「めずらしいこと言うね。そんなにパトロール、きつかったの?」

体も疲れたが、
心が、疲れた。

それは、飛影が心の中で、呟いた言葉。

いつの間にか横たえられた飛影の体を、マッサージするように蔵馬の長い指が動く。
軽やかに、それでいて力強く動く指が、さっきまで感じていた頭の痛みさえも、溶かしていく。
窓辺に積み上げられている色とりどりの鍋や皿には、蔵馬の手製の料理が入っているのだろう。

「ん……」

気持ち、いい。
蔵馬の体温、蔵馬のにおい、蔵馬の指。

力がどんどん抜けていく。
なのに、なんだか。

…なんだか、下腹が、うずく。
この前蔵馬と会った時、しなかったからだろうか。

枕に埋めた顔がだんだん熱くなってきて、飛影は思わず蔵馬を止めた。

「…もういい!」
「そう?じゃあご飯食べる?いっぱい作ってきたんだ」

さすがに百足の台所借りるわけにもいかないし。
でも暖炉で鍋はあっためられるね。

嬉しそうに鍋や皿にかけた蔵馬の手の上に、小さな手が重なる。

「飛影?」
「……飯は、後でいい」
「…え?」
「先に…」

させてやる。

上目遣いで睨む赤い瞳は、どんなランプよりも、綺麗な赤だった。
***
いえいえ。
ひとさまの情事を、盗み見たりしてはいけませんよ。
それは、いけないことなのです。

…いけないことほど、したくなるのは、どうしてでしょうね?
ちょっとだけ、見ちゃいましょうか?

ランプはひとつを残して、あとは消してしまったようですね。

小さな妖怪とその恋人は、二人とも裸になっています。

ランプの数よりもずっと多くキスを交わし、
互いの髪に指を絡め、体を押し付け合いながら、ベッドに横たわったようです…
***
「くら、ああ、ん!っひあ!くらま…!!」

くちゅんくちゅん。
小さな音は、蔵馬の手の中の、飛影のものが立てる音。

ずちゅっ ぐちゅ。
大きな音は、蔵馬の腰が飛影の尻にぶつかるたびに、聞こえる音。

「ひあ!あ!くら、そこ…い、あ、もぅ…!」
「ここ、が、いい、ん、でしょ…」
「ん、ふ、ああ…アアアア…イッ」

暖炉の熱を邪魔に感じるほど、二人は汗だくだった。

「…飛影…ひえ…い」
「や、あ……!うあ…アア!アア!ッアア!蔵馬ァッ!!」

がつがつと中を突かれ、前を握られ、たまらずに飛影の背が大きくしなる。
足を抱え上げられ、尻を開かれ、上になり下になり、いつになく素直に、飛影は蔵馬にしがみつく。

太い肉棒が貫いた狭い穴は、絶え間なく痙攣し、締めつけを強めていく。

「…っああ!ああ!あ、ふあっ…」
「すご…い…イイ…千切れ…そう…!」

真っ赤に充血した穴は、てらてらと濡れて光り、それでもまだまだ足りないとばかりに吸い込み締めつける。

「ヤ、ア、嫌、まだ…出すな…もっと…アアアッ!!」

鳴る音は、もはや何かの音楽のように、リズムを刻んでいる。

疲れたと言っていたのはどの口だったのやら。
二人はもう、三時間近くも腰を打ち付け合っていた。

「ねえ…ひ、えい…」

蔵馬の呼吸も、相当に乱れている。

「会い、たかった…よ…」
「あん!あ!ウア、ア、ア、ア」
「一人が…さびしい…ん…じゃなく…て」
「んあ!ああ…ア、ア、ア、あ…っ」
「君以外と…過ごす…クリスマスなんて…」

意味がない。
価値もない。

君も、そう思って、くれる?

「…ふあ、ぁ、ん」

きつく閉ざされていたまぶたがゆるゆると開き、赤い瞳がまっすぐ蔵馬を見つめた。

「…女々し…い…な…っ…この…人間…かぶれが…っ!ぁあう!あ!あ!…あ…おまえ…が」

そう…言うなら……一緒に、いて……やらんこともないぞ。

突かれるリズムに途切れ途切れの言葉を吐き出すと、飛影はニヤッと笑った。
その生意気極まりない笑みに、蔵馬はすっかり、取り込まれてしまう。

「飛影……君って……本当に…。もう…っ」
「メリー…クリス…マス…くら…あ…ぁっ!!」

いつぞや教わった言葉を囁き、飛影は力いっぱい蔵馬を締め上げた。
***
おっと。
ちょっとだけのつもりが、すっかり魅入ってしまいました。

小さな妖怪は、満足げな顔をして、恋人の腕の中ですやすや眠ってしまいました。
恋人が腕を振るった料理も、どうやら朝食になるようですね。

さて、あの箱の中身はどうやら美味しそうなケーキのようです。

真っ赤ないちごを一粒失敬して、おいとまするとしましょうか。


...Merry Christmas...



...End.

2012年12月24日・25日の限定アップでした。
2013年12月・再アップ。
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