普段はふんわりと肩に流している髪を後ろで一つに結んだ雪菜は、弓を力強く引いた。
ぐっと後ろに引かれた右腕は白く細くしなやかながらも薄く筋肉がつき、放たれた弓矢は、的の真ん中を射る。的のどこに当たっても弓道においては同じことなのだが、それは周りの部員たちがほうっと溜め息をつく程にど真ん中だった。

溜め息をついたのは、部員だけではない。
交流試合である今日は、他校の弓道部員もいるし、その応援に来ている生徒たちも大勢いた。

「すっげえ美人だなー」

蔵馬の隣に立つ、短い髪をリーゼント風に後ろに流した学生が言う。

水色の髪、大きな水色の瞳。
薄く形のいい薄紅色の唇、すっと通った鼻筋。完璧と言っていいほど整った顔立ち。
地味な弓道着でさえ、隠すことはできないふくよかな胸とくびれた腰。
弓道場に応援に来ている他校の生徒のほとんどは、雪菜を見に来たようなものだろう。

「スタイルも、すげえいい。胸もでかいし」
「どこ見てんの、幽助」

苦笑する蔵馬に、幽助と呼ばれた男子生徒も、健全なオトコノコだろー?と、笑う。

雪菜の放った二射目もまた、的の真ん中を貫いた。
あたりに小さく上がる歓声を後にし、二人は弓道場を出た。
***
「約束しただろ〜?」
「しーてーなーい。君が勝手について来たんじゃない」
「もったいぶらずに見せろよ」

幽助はそう言って、唇を尖らせた。

普段、他校の生徒が出入りなどできない女子高の校内は、いくつかの部活で行われている交流試合のおかげでなかなかに賑わっていた。

それはそうだ。
他校の、しかも女子高に入れる機会など共学校や男子高の生徒にはそうそうない。
蔵馬と幽助の通う学校は共学校だが、校内のあちこちで同じ制服を見かけた。

「お前の彼女、さっきの美人の姉ちゃんなんだろ?」
「うん」
「双子だろ?超見てえ!」
「似てないよ。超かわいいけど」
「…テメェ、そこまで惚気て見せねえ気かよ」

お前みたいな頭いいやつがわざわざ俺でも入れるようなバカ学校に入ったのだって、その彼女の学校に近いからなんだろ?なあ、見せてくれよー。

食い下がる幽助に、しょうがないなあ、と蔵馬は頭を掻く。

「言っとくけど、照れ屋なんだからね。困るようなこと言わないでよ?」
***
他校の生徒が雪菜に釘付けになっていたのと同じように、蔵馬もまた女生徒たちの視線を集めていた。

「…みんなお前を見てるぜ」
「そう?気のせいじゃない?」

気のせいではない。

元々女子高というものは当然女子だけで過ごしていて、男子が校内にいるとこ自体新鮮だし、何より蔵馬はかなり人目を引く容姿をしている。すれ違った何人かの女生徒たちはみな、ちょっと驚いたように蔵馬を眺め、女の子同士、小さな声で、今の人見た?などと囁き合っている。

先ほど弓道場の帰りに覗いた体育館では、剣道部は今回は交流試合はなく、今日は部活自体も休みだと、そこにいた若く威勢のいい体育教師に説明された。

「今のセンセーもなかなかかわいかったな」
「…螢子ちゃんに言いつけるよ」

それは幽助の幼なじみであり、彼女でもある子だが、頭のレベルはだいぶ幽助とは違うらしく、電車で5駅ほど離れた進学校に通っている。

冗談言うな、マジで殺される。
二人はそんな軽口を叩き合いながら、2年2組と札の出ている教室の前に来た。
どうやらみんな交流試合をしているいくつかの部活を見学しに行っているらしく、教室の並ぶこの棟にはあまり人がいない。

「こんにちはー。ねえ、飛影いる?」

剣道部はお休みみたいなんだけど。
2年2組の教室に一人だけいた女の子にそう尋ねると、相手はちょっと驚いたような顔をして、その後にこっと笑った。

「…蔵馬?」

その女の子は笑ってそう尋ねた。
ショートヘアだが、水色の髪と水色の瞳は雪菜に少し似ている。

「そうだけど…なんで知ってるの?」
「初めまして、かな。凍矢です。よろしく」

その名は何度か飛影から聞いたことがあった。
一番仲の良いクラスメートらしい。

「ああ、君が凍矢ちゃん?お噂はかねがね。こちらこそよろしく」
「呼び捨てで、構わない。飛影なら家庭科室にいる」
「家庭科室?」
「そう。最近、剣道部が休みの日には家庭科部に来ているんだ」

それは初耳だった。

部、って言っても10人もいないんだけどね。
俺も今から行くところだから良かったら一緒に、と凍矢は笑った。
***
「何しに来た!?」

怒声を浴びせたところで、片手に鍋、片手にお玉という姿では迫力はない。
ブレザーは脱いであり、学校の制服である白いブラウスとミニスカート、黒いカフェエプロンを着けた姿はとてもかわいい。

「へえ、かわいいじゃん。妹とはまた違った感じだけど」
「エプロン姿もかわいいね、飛影」
「やかましい!誰が来ていいと言った!? 帰れ!」

何人かいた家庭科部の女子たちは飛影の抗議を無視し、大喜びで蔵馬と幽助を家庭科室に招き入れ、椅子に座らせた。

ー飛影ってば、彼氏呼んでるなら言えばいーじゃん
ー呼んでない!!
ーえ?え?飛影の彼氏なの!? どっち?
ーこっち。髪の長い人の方
ー凍矢!いらんことを言うな!!
ー超かっこいーね!なんで隠してたの
ーあ、リーゼント君いじけた?
ーあはは、うそうそ、きみもカッコいいよ
ーでも今その髪形流行りじゃなくなーい?
ーそれ言ったらロン毛もだけど!
ーいんじゃない?似合う似合う。あれ?名前は?
ーこれって交流試合?うちの部活は予定なかったけどなー?
ーだから勝手にこいつらが!

共学校なので女子に不慣れなわけではないが、女子高はやはり雰囲気が違う。
くるくる笑い、弾丸のように喋る女の子たちのパワーに、男二人は圧倒されてしまう。

結局二人は、本日の家庭科部のメニューであるビーフシチューと焼き立てのパンをご馳走になることになったのだが、すっかりむくれて黙り込む飛影に、蔵馬は来たことを後悔し始めていた。
***
「ねえ、ごめんね。ごめんなさい」
「………」
「その、あの、幽助が、あ、幽助ってさっきのやつだけど」
「………」
「どうしても飛影と雪菜ちゃんを見たいって言うから、交流試合があるって聞いたから…」
「………」
「それで、ちょっとだけのぞこうかなーって…」
「………」
「ね?ごめんね?許してよ」

無言で先を歩いていた飛影がくるっと振り向いた。
許してくれるのかと蔵馬がホッとしかけた瞬間…

「…別れる」

え!? と思わず蔵馬は大声を出す。

「嘘。冗談でしょ?だって…」
「別れる。もう会わない」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」

無理やり抱き寄せ、蔵馬は飛影の顔を覗き込む。

「ごめんなさい!本当に!もう二度と…」

飛影の目が潤んでいるのを見て、蔵馬は絶句する。

「…飛影…?」
「…お前は」

学校には来て欲しくないって、何度も言っただろう?
お前は、俺が本当に嫌がることでも…平気でするんだな。

なら、お前となんかいたくない。
もう、いい。

「…お前なんか、嫌いだ」

頬をすべり落ちた一粒だけのその雫は、蔵馬の手の甲に当たり、染み込むように消えた。

蔵馬の手を振り払い、調度よく来たバスに乗って走り去った飛影もまた、蔵馬の目の前から消えていた。