ロブロイ

体のラインを際立たせるぴったりとした白いワンピース。
誰もが知るブランドのハンドバッグは、目に痛いような赤だ。

“CLOSE”の札がかけられた木の扉を躊躇なく開け、彼女は店に入っていった。
***
「初めまして」

いかにも水商売という出で立ち、派手な化粧ではあるが、目に、眉に、唇にと、友人と似ている箇所をいくつも見つけ、蔵馬は微笑む。

「君が蔵馬くんね。初めまして」
「はい。いつもお世話になってます」
「こちらこそ。ところで君がうちのバカ息子の世話をさせられることはあっても、君が世話になってるとは思えないけど?」

陽気に笑う女からは、煙草と香水のにおいがする。

「そんなことないですよ、温子さん」
「おばさん、って呼ばないなんて礼儀を心得てるわねえ」

温子は感心したように頷き、店をぐるっと見渡した。

「素敵な店ね」
「ありがとうございます」
「その歳で起業するなんてすごいね」
「起業なんて大それたもんじゃないですよ」

四百万、両親が出資してくれたんです。
もちろんこの店が軌道に乗ったら返していくつもりなんですけど。
普通に大学に行ったらかかる学費だから、返さなくたっていいって両親は言うんですけどね。

店内の花を見せながら、温子に説明をする。
知り合いの美容師の女の子が独立して店を構えたお祝いに花を贈りたいという温子に、幽助が蔵馬の店を勧めたのだ。
温子の撮ってきたヘアサロンの写真を見ながら、花の種類や量、アレンジメントの提案を蔵馬はする。

「ね?こんな感じで大ぶりの花で白と緑だけでまとめた方が、このお店の雰囲気に合うと思いますよ」
「そうね。いい感じ」
「じゃ、配達先と日にち、記入していただけますか」

伝票の記入用のテーブルについた温子に、お茶淹れますね、と声をかけた蔵馬を、幽助そっくりの目が、じっと見つめる。

「どうかしました?」
「十代で結婚するなんて、あたしや幽助みたいにおつむの弱いヤンキーなのかと思ってたんだけど」

君はそうじゃないんだね。
バカかそうでないかなんて、五分も喋ればわかるもん。
ねえ、どうしてうちの息子が入れるようなバカ高校入ったの?
幽助が、あいつは好きな女の子の学校の近くの学校だってだけで、バカじゃないのにバカ高校へ来たんだって言ってたけど、それって本当なの?そんな理由で選んじゃったの?

次々ぶつけられる、ひどく素直な質問に、紅茶を淹れながら蔵馬は苦笑する。

「まあ、だいたい合ってますよ」
「そんなに、彼女のこと好きなの?あ、今は彼女じゃなくて妻か」

くりっと丸い目は、純粋な好奇心に輝いている。

「好きです。まあ、骨抜きってやつですね」
「何年目?」

出会った時は十四歳でしたから、五年目ですね。
きちんとあたためたカップに、素晴らしい香りの紅茶を蔵馬は注ぐ。

「ふーん。じゃあ、本物かもね。知ってる?愛は四年で冷めるんだって」
「えー?四年ですか?結構短いんですね」
「そ。本能なんだって。だから大抵の夫婦は愛はないけど別れるほど嫌いでもないっていう関係で暮らしていくわけ」

まあ、シングルマザーのあたしが言うなって話だけどね。
砂糖もミルクもいらないと、温子はストレートで紅茶を飲み、笑う。
白いカップの縁に、くっきりと口紅の赤が咲く。

「でも、幽助…いえ、幽助くんと螢子ちゃんも長いでしょう?」
「呼び捨てでいいわよ。あの二人は幼なじみだから。本当に、幽助なんかに螢子ちゃんはもったいないんだけどね」

ま、嫌になったらいつでも捨てて、って螢子ちゃんには言ってあるし。
螢子ちゃん美人だし、まだ若いんだからいくらでもやり直しはきくでしょ。

思わず吹き出した蔵馬に、温子はニヤッと笑う。
笑い方も息子をそっくりだということに、彼女は気付いているのだろうか。

「よしっと。あたし行かなきゃ。お店閉めた後だったのにごめんね」
「いえいえ。またいつでもどうぞ。お待ちしてます」

代金を現金で支払い、赤いバッグを肩にかけると、温子は立ち上った。

「じゃあね。ありがと」
「あ、ちょっと待ってください。これ、おまけにどうぞ」

差し出されたのは、金色のごく細いリボンを巻いた、一本だけの薔薇。
赤く、強く、どこか野性的な姿だ。

「薔薇ね。きれい」
「ええ。これ、ロブロイっていう薔薇なんです」

花束向きではないので、あまり店には出ないんですけど。
これ、なんだか。

「温子さんに、似てる気がして」
「ええ?うわー。十九歳でそんなこと言っちゃうわけ?」

末恐ろしいわねえ、と苦笑しながらも、温子は薔薇を受け取る。
重たい木の扉につけられた鈴が、りんと鳴る。

「ありがとうございまし…」
「あのさ」

扉を支えてくれている蔵馬の言葉をさえぎり、温子は振り向く。

「君にとって彼女はさ、何の花なの?」

一瞬面食らった蔵馬だったが、すぐにその顔は、笑みにほどける。

「……どこにもない、新種の花ですよ」

まるで碧の瞳から映像を流されたかのように、温子の脳裏に、砂漠に咲く花がふと浮かんだ。

凛として、強いが儚い、
今まで見たこともない、その花。

その花に、水を与える、手は…
今、重たい扉を支えてくれている、この手だ。

店の前にとまった車のクラクションが、温子を現実に引き戻す。

「…ごちそうさま」
「どういたしまして」

また、いらしてくださいね。
***
「なんだそれ。一本だけか?」

運転席の男が、不思議そうに聞く。

「…一本でも、あんたや他の男がくれる百本の薔薇より価値があるの」
「はあ?」
「んー」

久しぶりにさ、愛ってものがこの世にあるのを思いださせられたわけよ。

「何寝ぼけてんだよ。三十路のババアが」
「殺されたくなきゃ黙って運転しなさい」

言葉とは裏腹に、温子の言葉にとげはない。
花を傷めないようそっと、白いワンピースの上に薔薇を置く。

「さてと、こっちは現実に戻らなきゃね」

いつまでも暗くならない夜の街。
流れるその風景を横目に、彼女は取り出した赤い口紅をくっきりと塗った。


...End.