乙女ゴコロ

飛影が降りた停留所は、いつもの停留所ではなかった。
カバンで顔を隠すようにして足早に歩く行き先は、どこにでもあるファミレスだ。
***
「いらっしゃいま…」

夕食前の中途半端な時間のファミレスは空いている。
泣き顔の女子高生に驚いたらしい店員の言葉を無視し、飛影は二人の待つテーブルへ向かった。

「パス!顔洗ってくる!」

そう小さく叫ぶように言うと、真っ赤な目を一層赤くした飛影は、手の中に握っていた物とカバンを、雪菜に放るように投げた。

「情けないなあ」

投げられた物を、げ、と舌を出して受け取った雪菜はそう呟く。
雪菜と凍矢の二杯目のコーヒーと、飛影用に頼んだココアが運ばれてきたころ、ようやく飛影は戻ってきた。

洗い立ての顔は、まだ少し水滴が残っている。

「こんなもの使わないと嘘泣きもできないのー?」

カバンから出した小さなタオルで顔や濡れた前髪を拭いてやりながら、雪菜は呆れたように言う。
ペーパーナプキンの上に置かれた“こんなもの”は、たまねぎの切れ端だ。

「できるか!」
「できるよ」

ねー?と、雪菜と凍矢は顔を見合わせて笑う。
よく似た雰囲気の二人に、飛影はふくれっ面をした。

「…俺はできん」
「まあ、いいけど。言った通りにやった?」
「……やった」

二人の視線から逃れるように、飛影は俯いてココアをすする。

「じゃあ、大丈夫よ。もう学校には来ないわよ」

自信ありげな雪菜と、不安そうな顔をする飛影とを交互に見て、凍矢は不思議そうに首を傾げた。

「…だいたい、どうして彼が学校に来ちゃいけないんだ?」
「でしょ?飛影に聞いてー」

ココアのカップが、タン!、と音を立てて置かれる。

「…嫌だからだ!」
「何が、嫌なんだ?」
「何って…。そうだ、凍矢!調理室に連れてきていいなんて言ってないぞ!」
「だから、なんで…」

無駄無駄、と、雪菜が断じる。

「飛影はカレシを学校の人に見られたくないの」
「なんで?見られて困るような男でもないだろう?」
「そーゆー問題じゃないの。飛影は照れ屋なの」

別に、照れてるわけじゃない。
ぼそっと反論する飛影の頬は、言葉と裏腹に紅潮している。

「…ふうん。あの彼氏は、こういう照れ屋な所がカワイイって思ったのかな?」
「さー?そうかもね?」
「まあ、この双子なら、普通は雪菜を選ぶよな」
「でしょ?でも蔵馬さんは私の趣味じゃないな」

口々に好き勝手を言う二人に、飛影がキレた。

「そんなのどうでもいい!……上手くいったと思うか?」

普段は勝ち気な赤い瞳に、おろおろしたような光を浮かべる飛影。
雪菜は飛影に聞こえないようメニューを見るフリをし、顔を隠すようにして、凍矢に小さく囁いた。

「…カワイイでしょ?」
「…カワイイな。惚れるのもわかるかも」

ケーキも頼もうかなー?などとつぶやきながら、雪菜はメニューを下ろす。

「大丈夫だよ、飛影。上手くいくわよ。別れるって言ったんでしょ?」
「…言った。でも…」
「でも、何よ?」
「…蔵馬が…本気にしたら…?」

いいよ、別れよう、って…言われたら?
しゅんとした様子の姉に、妹は思わず笑った。

「何がおかしい!」
「学校に来させないようにしたいって言うから、作戦立ててあげたのに」
「そう…だけど…」
「飛影、大好きね。蔵馬さんのこと」
「べ、別に…そんなには…」
「よく言う。そんなに好きなら、学校だってどこだって、来たっていいじゃない?」
「よくない!そういう問題じゃな…」

まあまあ、と凍矢が割って入る。
その時、飛影のカバンが小さく震えて携帯の着信を知らせた。

「あ、鳴ってる。蔵馬さんでしょ?」
「出ないのか、飛影?」
「………出ない」

雪菜は絶対に大丈夫だと言うが、この電話に出て、あっさり別れようと言われたらと思うと、とても出る気には飛影はなれなかった。

「出ないとどうせこっちにかかって…」

それが聞こえたかのように、雪菜の携帯が震えた。

「はーい」

席を立ち、店外へ向かいながら雪菜は携帯に出る。店内は通話禁止なのだ。
店の外で何やら話している雪菜の声は聞こえない。飛影は不安そうに、その姿を見ていた。

「飛影って、変わってるな」

凍矢の呟きに、飛影が振り向く。

「普通、見せびらかしてもいいようなもんなのに」
「俺は…」
「でも、あんだけモテそうだと嫌かもな。油断すると取られそうでさ」
「……取られる…!?」

そうは考えていなかったらしい。
飛影の目が丸くなる。

「おまたせー」

携帯を閉じた雪菜が、戻ってくる。
すれ違ったウェイトレスに、オレンジシフォンケーキを三つくださーい、と頼みながら。

「ケーキ頼んじゃった」
「…電話、誰だった?」
「蔵馬さんに決まってるじゃない」

これから来るって。
その言葉に、飛影は驚いて目を見開く。

「来るって…?」
「ここに。いいじゃない。学校の人いないし」

確かに、見渡す限り、店内に同じ制服は見当たらない。

「そ、そうじゃなくて…!何しに!?」
「話があるって」
「話って…」
「別れ話だとか思ってるの?」

なわけないじゃん。
謝りに来るんでしょ。

「…蔵馬がそう言ったのか?」
「言ってないけど。話があるってだけ」

目の前に運ばれてきたケーキに手も付けず、飛影はうなだれた。
***
「いらっしゃいま…」

あまりに慌てて入ってきた客に、今度もウェイトレスは最後までいらっしゃいませを言えずじまい。

「あ、来た」

雪菜の言葉に飛影はビクッとするが、蔵馬の方を見ることはできない。

「飛影!」

肩に手を置かれ、飛影はのろのろと顔を上げる。

「…なんだ?」

次の瞬間、蔵馬はガバッと床に伏せた。

「ごめんなさい!!」

土下座。
その姿と大声に、少ない客たちはみな振り向いた。

「ちょ、バカ!何やってんだ!」
「ごめんなさい!! ごめんなさい!! 許してください!」
「やめろ人が見て…!」

予想外の展開に、かえって飛影は大慌てだ。

「絶対に、二度と学校には行きません!飛影の嫌がることは、二度としないから!!」
「今この状況が最高に嫌だぞバカ!!」

店中の注目を集め、飛影が真っ赤になる。

「じゃあ、許してくれる!?」
「許すから立てっ!ていうか黙れ!」

やれやれという表情で、雪菜が蔵馬の手を取り、凍矢が飛影の手を取って、四人は店を逃げるように出た。
***
「もー。あの店もう行けないじゃない」

雪菜が、呆れた風に二人を睨む。
凍矢はその隣で、おかしそうにクスクス笑っている。

「俺は悪くない!このバカが…」

そのバカは、嬉しそうに飛影の肩を抱いている。

「ああ良かった。許してくれなかったらどうしようかと思った」
「謝り方が間違ってるんだお前は!!」

飛影はそう怒りつつも、肩を抱いた手を振りほどきはしない。

「だって、焦るよ。未来の奥さんに別れるなんて言われちゃあ」
「誰がお前の妻になると言った!?」
「蔵馬さん気が早いよ。大学に行ったりしたらお互いもっといい人いるかもよー?」

雪菜はそうからかう。

「大丈夫!誰かが飛影に手を出さないように、一緒の大学行くから」

凍矢が吹き出し、飛影は蔵馬を睨みつけた。

「良かったな、飛影。彼はお前にベタボレだ」

飛影は凍矢の言葉に、さらに赤くなる。

「…雪菜、凍矢、俺は決めた」
「何をー?」

間延びした声で、雪菜が聞く。

「…俺は、女子大に行くからな!」

ええー!そんなあ!という蔵馬の大声は、
暮れかかる住宅街に響いたのだった。