ノスタルジア「ランプの宿、みたいなやつ?」チョコレートとナッツがたっぷりかかったアイスクリームを大きくひとかじりし、口の中をいっぱいにしたまま雪菜は言う。 「ランプはあるらしいけど、雪菜ちゃんが想像しているようなしゃれた場所じゃないよ」 袋から取り出した同じアイスクリームをかじり、蔵馬は笑う。 クローズの札を扉にかけた店の中は静かで、花の香りとアイスクリームの冷たさが心地いい。 「電気も水道もなくて、水は山から引いてるんだって」 「ええー?」 「ガスは届けてもらってるらしいけど」 「ガスを?届ける?何それ」 「電波もないから携帯も使えないし」 「絶っ対行きたくない」 あっという間にアイスクリームを食べ終えた雪菜は、早くも次の一本を冷凍庫から取り出した。 「わざわざ泊まるの?そんなとこに?」 「うん。一晩だけどね」 「一晩でも絶対行きたくない。でも、飛影はそういうの好きだよ」 電気がないとか携帯通じないとかちょっと喜ぶタイプだもん。 女子大生とは思えないよね。 チョコレートに練り込まれたナッツをカリカリと咀嚼する義妹に、さすが双子、わかってるねと蔵馬は頷く。 リン、という小さな音は裏口のドアに取り付けられた小さな鈴の音で、二人は同時に振り向く。 「飛影」 「遅かったねー。アイス食べる?」 「丸ごとはいらん。これでいい」 雪菜が差し出した袋を断り、蔵馬の手から食べかけのアイスクリームを取り、半分ほどになったそれに飛影は口を付ける。 いつものように黒いTシャツと黒いパンツ姿の飛影が、今日は暑いな、と襟元をひっぱり、薄く汗を浮かべた白い肌にぱたぱたと空気を入れる。 電波も電気もない山奥の家に一晩泊まるという夫の誘いに迷いなく頷く妻は、食べかけのアイスクリームを口の中でゆっくり溶かすように味わっている。 「飛影、蔵馬さんと一緒に行くんでしょ?電気もないんだよ〜?」 「ランプだかランタンだかがあるんだろう?別にいい」 「シャワーもないよ?」 「風呂は沸かせるらしいし、今の季節なら水でもいいくらいだ」 「携帯使えないよ?」 「お前みたいに四六時中使わない。だいだい、蔵馬が一緒…」 ハッと口をつぐみ、ばつが悪そうに飛影は雪菜を見る。 「はいはい。どうせ蔵馬さんと一緒にいるなら携帯使う用事もないって言うんでしょ」 三本目のアイスクリームの袋を破り、雪菜はがぶりと噛みついた。 ***
蔵馬にとっては半分は仕事のようなものだった、その山奥行きの旅は。三ヶ月ほど前に頼まれて植樹した何本かの木が、上手く根付いているか様子を見に行くのだ。 森にはアスナロはないのに翌桧荘と呼ばれている、家屋と作業場がくっついているような平屋のそこは、年に数ヶ月だけ山の樹木を管理する会社が借りているとかで、今の時期は無人なのだという。 様子見ついでに泊まってもいいですか、と問うた蔵馬に、山まるごとを所有している依頼主は、構わんが不便だよと首を傾げた。 「山の麓にな、小さいが温泉が出る旅館がある。飯もまあまあ美味いんだ。そこを取ってやるよ」 「いえ。もしご迷惑でなければ翌桧荘に泊まりたいんです。さらに図々しいお願いをして良ければ、妻も一緒に」 「妻ぁ?あんた女房がおるんか」 すっとんきょうな声を出した老人に、何言ってんのお父さんと、茶を運んできた娘がケラケラ笑う。 「結婚指輪、してるでしょうが」 「へ?ああそうか、そうだな。ずいぶん若くして女房をもらったもんだ」 「お父さん、今は女房なんて言わないの。奥さんとか嫁さんとか言うの」 「おんなじことだろが」 ぽんぽん交わされるやりとりに、蔵馬は笑みを浮かべたまま茶をすする。 缶に入った水ようかんの蓋を開け、娘はあんなぼろ家で良ければどうぞどうぞ、と言う。 「オイルランプとランタンと、懐中電灯もあるけど電気はないし。女の人は嫌がるんじゃないかしらねえ。ほら、あの、電話?ああいう物もあそこじゃ使えないし」 「うちの妻は、ちょっと変わった人なので」 電気がなくても、電話が使えなくても気にしないと思います。 ランプとか結構好きです。そういうの喜ぶ人なので。 その晩、電気なし電波なし、山の水とガスはあり、の小旅行に誘われた妻は、夫の思惑通り迷うことなく頷いた。 ***
「ああ。あの時の爺さんか」窓を開け放し、びゅんびゅんに風を受けて走るのが飛影は好きだ。 雨降りや真冬、あるいは商品の花を積んでいる時でない限り、飛影は車に乗り込むとすぐに全ての窓を開けてしまう。 まるでオープンカーのように吹きつける風に邪魔になる髪をひとつに結わいて、蔵馬は制限速度を十キロほど上回る、堅実な運転をする。 「そう、あの人」 高速道路の左右には、力強い緑の山並みが見える。 鍋とか布団とか洗面器とか、あとは石鹸とかトイレットペーパーとか、そういう物はあるけどシーツとかタオルとかはね、長いこと仕舞い込んじゃってるから一回洗わないとでしょ。だから悪いけど、お家から持って行ってね。 貸している会社さんはね、発電機も持ってくるんだけど、今は電気がないから当然冷蔵庫も使えないのよ。でもね、山奥は寒いから。クーラーボックスに氷を入れて持って行けば食べ物は一晩くらいは大丈夫よ。 娘といっても還暦は過ぎているだろう女性の助言通り、シーツやらタオルやら食料やらを積み込んで、赤いルノーカングーは夏空の下を走る。 あの時の爺さん、と飛影が言った娘の父親は、八十をとうに越えている。 普段、飛影は店の客にも、ちょっと面倒な依頼を寄越すお客にも会うことはあまりない。手伝いはもっぱら裏方ばかりだ。 あの日、店を閉めて二人で帰ろうとしていた矢先にかかってきた電話に、蔵馬がため息をついたことも、飛影は覚えている。 「ごめんね飛影、ちょっと寄るところができた。付き合って」 「木の仕事か?」 木の仕事。 飛影はそう呼んでいる。雪菜と氷菜も倣ってそう呼ぶ。 半年ほど前から、蔵馬の元には奇妙な依頼が舞い込むようになった。 それは木の植え替えで、花問屋からの頼まれ事がきっかけだった。 土地を売る、引っ越しをする、家を建て替える。 そういう時に、植えてあった木が邪魔になることはよくある話だ。大抵の場合は切ってしまうが、中にはどうしても木を残したい、植え替えたいという人もいる。 馴染みの花問屋は別の用で尋ねてきていた蔵馬に、ただの雑談としてその木を指しただけだった。 できれば植え替えたかったが、これほど大きくなると無理な話だと。 立ち上がった蔵馬は、小さな庭を覆うようにすっくと立つ、立派な幹に指をすべらせた。 この辺の庭では見かけることの少ない白樺は、風に葉を震わせていた。 「大丈夫ですよ」 まず、その右手の大きな岩をどけて。掘り起こす時は左奥から。 よどみなく、かといって押しつけがましくもなく説明をする蔵馬に、花問屋はぽかんとしていたらしい。 ただの花屋だ。造園業に関わっているわけでもない。少年と言ってもいいような者の言葉なのに、なぜかそうしてみようと思ったと、後に彼は同業者たちに話すことになる。 それからだ。時折似たような相談が舞い込むことになったのは。 知り合いのつてを辿って連絡をよこし、どうしても今日来て欲しいと駄々をこねた老人の家に二人が着いたのは、冬の夕暮れだった。 植物を見るのに夜が向くはずもない。家の明かりと街灯の明かりを頼りに、蔵馬は木にそっと触れた。 「どうやったら植え替えられるか教えてくれ」 「そうでは、ないんです」 静かに、蔵馬は言った。 全ての木を植え替えることができるわけではないんです。ただ、植え替えることが可能かどうかを判断しているだけでして。 可能であれば、どの方法が最善かも。 「…難しいです」 「なんだと…」 「この木は、ここで終えたいと言っている。どこかへ移りたくはないと」 家にも庭にも入らず、飛影はブロック塀の外から二人のやりとりを見つめていた。 老人の苛立ちは外からでもわかったし、なんとなく、蔵馬が言う言葉も飛影にはわかっていた。 「あなたも、本当はそれを知っている」 わかっていた。でも諦められなかった。そうでしょう?と蔵馬が微笑むと、老人はみるみる顔を赤くし、拳を握り、何かを言いかけ。 わっと、泣き出した。 いつもより遅く帰ってきた二人の話を聞きながら、不思議ね、と氷菜は言う。 「あなたはお花屋さんだけど、植樹や造園の専門家じゃないのにね。どうしてわかるのかしら」 「なぜでしょうね。なんとなくなので、合っているかはわからないですけどね」 「亡くなった奥さんがお嫁にきた時に植えた木ね。それはどうしても植え替えたかったんでしょうね」 けれど、飛影は全然不思議ではなかった。 おかしなことに、雪菜もまた、全然それを不思議に思っていないのだ。 蔵馬なら当然だ、双子はなぜかそう思っていた。 そんなわけで、それはもう一つの仕事になりつつあった。 宣伝をしているわけでもないのに、相談はぽつぽつと、けれど切れ間なくやってくるようになった。 ***
庭の木の植え替えは諦めたらしい老人は、なぜだか蔵馬を気に入り、他の仕事をいくつか依頼してきたのだ。元々長く続く林業の家系で、いくつもの山を持つ地主でもある。 自分の山には向いていないが、育ててみたい樹木があると相談をよこし、付き合いは続いていた。 油断をすれば転落しそうな山道は、運転している者だけでなく、同乗しているだけの者も疲れさせる。 それでも飛影は、鳥の声と葉の騒めき以外の音がない場所にぽつんと立つ、古ぼけてはいるがどっしりとした平屋に目を輝かせ、シートベルトを外した。 「大丈夫?疲れてない?」 「平気だ。運転していたのはお前なんだし」 三時間ほどのドライブで、立ち寄ったパーキングエリアで早めの昼食は済ませていた。 二人は手分けして荷物を下ろし、これまた古めかしい鍵で玄関の戸を開けた。 「いい匂いだな」 「昔の建物は贅沢に木を使っているからね」 惜し気なく高級な木を使った家屋は、年月につやつやと黒ずんではいるが見事なものだ。 土を固めただけの土間や、武骨な梁を飛影は楽しそうに眺める。 「布団は押し入れにあるって言ってたから、それ干したら散歩に行こうか」 たっぷり差し込む陽射しに灼けた縁側や畳でさえ、どこか懐かしいような匂いがする。 物心ついてから、畳の部屋のある家に暮らしたことはないのに懐かしく思うのはなぜだろうと、飛影は首を傾げる。 持ってきたシーツや枕やタオルケットの包みを部屋の隅にぽんと置き、蔵馬は押し入れの戸を開けた。 「まあ、ここに使えるシーツがあったとしても、持ってきたけどね」 だってほら、借り物を汚せないじゃない?今は電気がないから洗濯機も使えないし。 笑みに卑猥なものを嗅ぎ取って赤くなった飛影が、クーラーボックスを蔵馬の脛にぶつける。 「いたいいたい、それ結構重いんだから」 「無駄口叩いてないでとっとと運べ!」 素っ気ない無地の黒いシャツに覆われた、綺麗なラインを描く飛影の背中。 数時間後には思う存分触れられる、シャツの下の白い素肌を思い浮かべ、蔵馬は機嫌よくはーいと返事をした。 ***
「夏とは思えんな」長袖?鍋の材料?と出かける前は不思議そうな顔をした飛影だったが、山の上の気温は麓とはまるで違う。 涼しい風の通る居間で、長袖を着て鍋をつつく夕食は、快適と言ってもいいくらいだった。 鍋と風呂であたたまった体に冷たいシーツが心地よい。 浴槽が半分埋め込まれたようなタイル張りの風呂場が珍しく、つい長湯をしてしまった。 風呂上がりの体を大きめのシャツとゆるいズボンで包み、寝そべる飛影の隣に、蔵馬も横になる。 「静かだね」 「ああ」 静寂、というのは多分こういうことを言うのだろう。 虫の声とかすかな風の音。 頭上に吊るされたランプがぼんやり照らす部屋はオレンジ色で、灯の届かぬ部屋の隅には闇が濃く蹲る。 ランプというのは、電球よりもずっとずっと弱い灯だ。 雪菜や雪菜の友人たちなら、なんだか怖い、とぼやきそうなこの場所で、飛影は深く心地よく呼吸をする。 暗くて、静かで、何もない。 油に浸した芯が燃えるランプの灯と、自分たち以外、何もない。 「蔵馬…」 小さな声が呼ぶのに答え、蔵馬はシャツを脱ぎ、飛影に覆いかぶさる。 ぶかぶかのシャツの下に潜り込んできた大きな手が、白い肌を滑る。 重なる唇に、やわらかな胸を包み、乳首をそっと摘む指先に。 飛影は目を閉じ、オレンジ色の光を瞼に沈めた。 ***
…窓を開けていただろうか?半分眠りの中のまま、飛影は縁側越しの外を眺める。 障子は開け放たれ、広い縁側を挟んだ向こうのガラス戸も半分開いている。 蔵馬の店の人気商品のひとつでもある薄荷とハーブの虫除け線香が、細長い皿の上で白く細い煙を立ち上らせていた。 肘をついて半身を起こし、腰に巻き付いていた腕をそっと外す。 布団のまわりには脱ぎ捨てられた服が散らばり、蔵馬のシャツの上には、中身がこぼれないようぎゅっと縛った使用済みのコンドームが四つ転がっている。 小さなランプをひとつだけつけて、互いに相手を思いきり貪った時間を思い出し、灯の消えた部屋で飛影はひとり赤面する。腰のあたりがまだ、重く甘ったるい。 豊かな月光が白く照らし出す部屋は、夏の夜の香りの中に、ほのかに精のにおいを漂わせていた。 高い山は、高いぶんだけ月に近いのだろうか。 長い髪が綺麗な顔にかかるのを、指先でかき上げてやりながら、飛影はそんなことを考える。 走る車の音も、家電が立てる微かなうなりも、窓の外から聞こえる日常の雑音も。 月明かりと涼しげな虫の音以外になにもない空間で、飛影は眠る男を見つめる。 「…蔵馬」 なぜだろう。 胸を締め付けるのは、郷愁だ。 消したオイルランプの独特のにおい、年月を経た木が放つ芳香。 広々とした畳の部屋も、漆喰の壁も、寝そべれるほどの縁側も。 こんな場所で暮らしたことはない。 なのにひどく懐かしくて、飛影は大きく息を吐く。 いつかどこかで、こうして蔵馬と過ごしていたような、そんな気がして。 脱ぎ捨てたままだったシャツをかぶると、蔵馬を起こさないようそっと布団を抜け出す。 月明かりに誘われるように、縁側に置きっぱなしだった誰の物とも知れぬぼろいサンダルを引っかけ、地面に下りた。 ***
少し迷って、懐中電灯もランタンも置いてきた。素足にスニーカーを履き、手にはもう一足のスニーカーを持って、蔵馬は小走りに山を駆ける。 月が陰ったりしたら、本当の暗闇だ。前も後ろも、なんなら自分の足だって見えやしないだろう。 それでも蔵馬には、今夜の月が陰らないことはわかっていた。 昼間の散歩で見つけた、神社と呼ぶにはあまりに小さい社へ向かって真っ直ぐ駆けて行く。 土の匂い、草の匂い。夜のにおい。 月明かりは白く強く、神々しい。 色褪せた赤い鳥居の下に、白いシャツを着た小さな人影が月光に短い黒髪を輝かせている。 「飛影」 くるりと振り向いたその顔は、どこか夢見るようにぼんやりとしている。 駆け寄ってきた蔵馬をちらりと振り返り、すぐにまたおもちゃのように小さな社を見つめる。 昼間、野の花と五円玉を供えた神社は、月の光を吸い込むように建っていた。 大きめの神輿、という大きさの社の石段脇には、風雨にさらされ丸みを帯びた、石の狐が座っていた。 山の守り神を祀ったという社は、翌桧荘から五分もかからない。 それでも覆いかぶさるような木々が、夜の森の顔をして二人を見下ろしている。 「飛影、夜の散歩?山奥なんだから夜は危ないよ。迷ったら」 「迷う?」 月明かりに、飛影がやわらかく笑う。 年よりもずっと子供っぽい顔をしているのに、その笑みは奇妙に大人っぽい。 長いながい年月を生きた、子供の神様のような笑み。 「迷う心配などない。俺が森で迷ったら…お前が見つけるだろう?」 今までだってそうしてきたじゃないか。 そう言うと飛影はまた笑い、ふと、石の狐をゆるりと撫でた。 白いシャツから突き出した白い足。 ついさっきまで持ち上げて絡まって舌を這わせたその足元に、蔵馬はそっと跪く。 「…見つけるよ」 体の大きさにふさわしい小さな手を包み、月を背負う姿を見上げる。 包みこんだ手のひらをひっくり返し、静脈の透ける手首を唇で強く吸い、蔵馬は言った。 「飛影、お前がどこにいても、俺は絶対に見つけるから」 「…わかってる」 立ち上がった蔵馬に手を引かれ、社の前の小さな石段に飛影は腰かける。 差し出された靴を受け取り、ぼろぼろな上に大きすぎるサンダルを脱いだ。 「飛影」 「ん?」 「おかしなこと、言ってもいい?」 「なんだ?」 靴ひもは緩めず、踵を引っぱって足を押し込みながら、飛影が顔を上げる。 「なんだかね、懐かしいなって」 隣に座り、飛影の左手を握ったまま、蔵馬は呟く。 「懐かしいなんて、おかしな話だけど」 こんな場所で暮らしたことはないのにな。俺も、飛影も。 ランプだって、実際に使うのなんか初めてなのに。 笑い飛ばすこともなく、否定も肯定もせずに、飛影はじっと蔵馬を見つめている。 「いつかさ」 絡めたままの指先を、蔵馬はぎゅっと握る。 「いつか、こういう場所で暮らしたいね」 あの頃みたいに、という続きの言葉をかろうじて蔵馬は飲み込む。あの頃なんて、自分でも全く意味がわからない。 蔵馬の言葉をゆっくりと染み込ませるようにして、飛影が頷く。 「…それも悪くないな」 「でしょう?こんな場所嫌だって雪菜ちゃんは遊びに来てくれないかもしれないけど」 二人は同時にくすくす笑い、同時に口をつぐむ。 「こんな場所でまた暮らすのもいいな。でも」 虫の鳴き声に溶けて消えてしまいそうな、小さな声。 空いている方の手で蔵馬の長い髪を引き、飛影は唇を近づける。 「ここで暮らすのがいいんじゃない、俺は…お前と…」 唇を合わせて囁かれた言葉に、蔵馬は目を見開き、ゆっくりと細めた。 石の狐が見守る中、互いの背に腕を回し、舌を絡める。 ついさっきそうしていたように。 ずっと昔にそうしていたように、はるか未来にそうするように。 草木と風と虫の音に包まれて、いつまでも唇を重ねたままでいる二人に、石の狐は恥ずかしそうに目をそらし、ふわりと闇に溶けた。 ...End. |