かんなづき厚めにスライスしたチャーシューを軽く炙り大皿に並べる。その上に、熱したごま油でカリカリに揚げたネギを油ごとざっとかける。ざくざくと切ったトマトはバターで炒められ、たっぷりのコショウとチーズでトロリと熱い。 半分に割られた煮玉子は、黄金色にまるい中身を見せている。 缶ビールはキンキン。 冷凍庫に入れておいたコップも白く冷たい。 さあ、男同士の飲みの始まりだ。 ***
「料理、上手くなったねえ」感心したように言う蔵馬に、幽助は破顔する。 「たりめーだろ。これで金貰ってんだかんな!って言うほどの料理じゃねーけど」 店から持ってきたもんばっかだしな、と幽助はコップにビールを注ぐ。 八割の金色、二割の白くなめらかな泡。完璧な配分の、そのビール。 雑然と散らかっているばかりだった3LDKのマンションは、ずいぶんと片付き、以前よりずいぶんと家庭的な雰囲気だ。 「君の家、なんか片付いたね」 「螢子が出したもんはしまえ、片付けろ、ってギャーギャー言うからよ。ビールも直に飲むなコップ使え、とかいちいちうるせーし」 「あはは。ちゃんと使ってるじゃない」 冷えたコップのビールを半分ほど一気に飲むと、蔵馬は笑った。 「あのな、女に逆らうとろくなことねーの。はいはい、って聞いておく方がいーんだよ」 「もちろん。そんなこと、今ごろ知ったの?」 「へーへー。蔵馬様はなんでもご存知で」 十八歳ながら互いに仕事を持ち、結婚もしている二人としては、こんな風に宅飲みの時間を持つのは久しぶりのことだ。 幽助の妻である螢子は、普段このマンションで幽助とその母の温子とともに暮らしているのだが、来週大事なレポートの提出があるとかで、実家に帰ってしまっている。 なんでも、騒々しくおバカな幽助のいる場所で、レポートやら試験勉強をするとバカがうつる、と言って勉強に集中したい時期は実家に帰ってしまうのだそうだ。 「ひでー女だろ?」 「ま、君と一緒にいて成績向上するとも思えないのは確かだけどね」 自分たちは高卒で自営業。同い年の妻は大学生。それも二人の共通点だ。 「で?」 ビールを飲み干し、チャーシューを頬ばり、タバコの箱を取り出した幽助が、ニヤッと笑う。 「なんだよ相談って。おめーが相談なんてめずらしい」 学生時代、もっぱら相談受付専門で、人に相談などすることがなかった蔵馬を幽助は思い出す。 地元でも有名なバカ高校に、場違いな生徒。 抜きんでて成績が良く、驚くほど綺麗な顔をし、教師の受けも良く、年齢に見合わない落ち着いた物腰。 いつでも理性的で、頼れる男。 それが学校での蔵馬だった。 「俺にだって、悩みのひとつやふたつはあるんですよ」 「だから聞かせろって。お前の悩みなんてどーせ飛影のことだろ?」 「そうだとも言えるし、そうでないとも言えるんだけど」 思った以上に熱々だったトマトに目を白黒させていた幽助だったが、続けられた蔵馬の言葉に、思わずむせそうになった。 「あのさ、幽助たちはここでセックス、してます?」 ***
「……は?」「だから、ここで、この家でします?君の母親である温子さんも一緒に住んでるこの家で」 「……は?」 「つまり、同居におけるセックス問題、について聞きたいんですよ」 「あー…。そういう意味か」 ポリポリと頭を掻き、幽助は早くも二本目の缶ビールをプシッと開ける。 「たいがいここでするけどよ」 まあ、同居つっても、もともとオフクロ滅多に家にいないし。 どーこ飲み歩いてんだか、どこの男の所にいるのか知らねーけど、月に二三回しか帰ってこないぜ。 「…なるほど。し放題ですね」 しみじみと、羨ましそうに蔵馬は言う。 「し放題とか言うな!そんなにしとらんわ!」 「でも好きな時にできるじゃないですか」 「お前ん家は、そうもいかねえか」 「氷菜さんは夜遅いし、出張も多いんだけど」 雪菜ちゃんも大学の友達と遊びに行ったり泊まりに行ったりも多いんだよね、でもね、それにしても。 しょうもない話を、端正な顔に憂いを漂わせて語る友に、幽助は苦笑する。 「オフクロさんと雪菜ちゃんがいる時はだめなのか?」 「声とか聞かれるのは死んでも嫌だって、飛影が」 「じゃあ、二人がいない日にしたらいいだろ」 「はあ?俺は毎日だってしたいんですよ!?」 生理前と生理中は体調悪いし機嫌悪いしで、論外でしょう? となると月の半分はだめなわけじゃない? 残り半月で氷菜さんと雪菜ちゃんが両方泊まりの確率ってどれくらいだと思う!? せいぜい多くて五日なんですけど!? まくし立てるように言われ、幽助はタジタジだ。 「……いや…その、ほら。なんだ。えーと。…ラブホとかもあるじゃん?」 「だって、飛影はラブホは嫌だって言うし」 飛影いわく、この建物の中の部屋のひとつひとつ、全部の部屋でセックスが行われていると思うと、とんでもなく馬鹿みたいだし、とてもじゃないが気恥ずかしくて入れない、のだそうだ。 「俺としてもなんか、飛影にラブホは似合わない気がして」 「いやそれ、何ノロケなんだっつー話だぞ」 「悩み相談ですってば。世の嫁姑問題がわかるような気さえしてきたよ俺は」 「世の嫁姑問題ってのは、そういうのじゃなくねーか?」 いつの間にやら、蔵馬は持参してきた焼酎に移行している。 氷もなしの、ストレートだ。 「同居解消したいってことなのか?」 「まさか!氷菜さんはすごくいい人だし、雪菜ちゃんはもう実の妹みたいなものだし。一緒に暮らすのは楽しいよ」 「つまり?」 「つまり、もっとセックスをしたい、という愚痴をこぼしたいだけですね」 「なんだそりゃ」 しょうがねえなあ、と幽助は笑い、豪快に焼酎を注ぐ。 「ま、言うだけタダだしな。好きなだけ愚痴ってけよ。ほれ、飲め飲め!」 「今日はお言葉に甘えてさせてもらうよ。乾杯」 二つのコップが、カチンと勢いよく鳴った。 ***
「ただいまー」幽助と二人で、ビールをチェイサーに、焼酎の瓶を三本、空にした。 それだけ飲んだというのに、蔵馬の足取りはしっかりしている。 もっとも、玄関の暗証番号の入力は二度目でやっと正解したが。 ダイニングキッチンからは、あたたかく光が漏れている。 「おかえりー」 ティーポットを片手にした雪菜の声は、明るくかわいらしい。 子供の頃からの双子の習慣であるという寝る前のお茶の時間らしく、お揃いのカップが並べられている。 「ただいま。飛影はお風呂?」 「うん。もう上がると思うよ。ママは今日も夜中になるみたい」 「そっか。大変だね」 「うっわ、お酒くさい!結構酔ってるでしょ?」 「ううん。そんなに酔ってないよ」 「酔っぱらいはみんなそう言うよねー」 蔵馬さんも飲む?と聞いた雪菜は、返事を待たずにもう一つカップを出す。 今夜のお茶は、飛影のためにと蔵馬がブレンドした、カフェインは含まれない、香りのとてもいいハーブ入りの紅茶だ。 雪菜と飛影の、お気に入りの店のレモンクッキーも添えられている。 「蔵馬。早かったな」 ぶっきらぼうな言葉とともに、キッチンのドアが開く。 髪にかけられたままのタオル。 ふわりと漂う、シャンプーと湯気の匂い。 雪菜の薄ピンクのパジャマと色違いの白いパジャマを着て、飛影がそこにいる。 背が低いせいで、必然的に蔵馬を見上げる赤い瞳。 風呂上がりの頬は、ふっくら赤い。 「飛影……」 「なんだ?」 すたすたとテーブルにつき、雪菜の淹れた紅茶のカップを飛影は両手で持つ。 熱い水面を、ふう、と吹いたその小さな口。 「…飛影、愛してます!」 「ぅあちっ!! な、なんだ急に!?」 「ああもう!君みたいな人と結婚できたのに愚痴なんかこぼすなんて俺ときたら!!」 「愚痴だと?俺になんか文句があ」 「もっとセックスしたいだとか幽助に愚痴ったりして!俺って最低だ!!」 「なっ、なにを言っ」 「セックス回数が少ないくらい!そんなこと問題じゃないのに!」 「!?」 「回数じゃなくって、愛の深さですよね!?」 「!?!?!?ーーー!!! 黙れーっ!! アホかお前は!! 死ね!!」 「アチ!! アチチチチチーッ!!!!」 熱い紅茶を頭からかけられた蔵馬を置いて、飛影はさっさとキッチンを飛び出して行ってしまう。 あちあちと悶絶する蔵馬を見下ろし、雪菜は優雅にクッキーを口に運び、氷を浮かべた冷たい紅茶を飲み干す。 「…だから言ったじゃん。酔ってるって」 「でも俺は!真剣に!! 真剣な話をしてるんですってば!」 「はいはい」 酔っぱらいはとっとと寝なさい。どーせ明日は平謝りなんだから。 今日は寝室に入れてもらえないでしょ?和室で寝るでしょ? 廊下のクローゼットから取り出してきた来客用の毛布を、雪菜は蔵馬に放る。 「おやすみー。カップ洗っといてねー」 「ええー?ちょっと待って…」 濡れた頭に毛布をかぶっている蔵馬を置き去りにし、雪菜はひらひらと手を振った。 ***
さわやかな秋晴れ。細かな雲の浮かぶ空は、きりっと澄んでいる。 「ごめんなさい〜」 「許さん」 「ごめんなさい、つい、飲みすぎて」 「許さん!」 「飛影ってば〜」 「許さん!!」 二日酔いの激しい頭痛の中、椅子に座る飛影の前に跪き、まさに“平謝り”してみたが、にべもない。 朝のキッチンで、雪菜は二人のやり取りをケラケラと笑っているばかり。 えらく濃いコーヒーを片手に、怒る娘と謝る婿とを交互に見遣り、なんだか知らないけど大変ねえ、などと、氷菜は肩をすくめる。 「止めないんだ、ママ?」 「夫婦のことなんて、夫婦にしかわからないもの」 「ふうん。ところでママのダンナさんは、どこへ行ったわけ?」 しまった、と小さく舌を出した氷菜は、遅刻遅刻、といつも通りの言葉を口にしながら、雪菜をかわし、そそくさとキッチンを出る。 「ねえ〜。ごめんなさい〜」 「うるさい!あっち行け!」 「反省してますってば〜」 「許さん!」 「もう秋だし、昨夜寒かったんですよー?」 「知るか!幽助の所にでも行け!」 「そんなぁ〜」 結局、一週間以上も寝室には入れてもらえず、深く深く反省をすることとなった蔵馬だった。 ...End |