ファムファタル

テレビに映し出されているのは、剣道の大会の中継で、俺の彼女はそれを食い入るように見ている。
高校生の大会らしい。俺にとってはまるで興味のない番組だが、構わない。

彼女はテレビを見ているし、俺は彼女を見ているから。

土曜日だというのに、外は朝から雨降りで、肌寒かった。
エアコンではなく、俺と彼女のお気に入りの古めかしいストーブがせっせと部屋を暖め、乗せられたやかんからは蒸気が上がっている。
灯油のストーブは、火がきちんと見えるのが好きだ、と彼女は言う。

紅茶のポットにやかんのお湯を注ぐと、いい香りが立ちこめた。

「飛影」
「ん」

砂糖もミルクもたっぷり入れたカップを、受け取ろうと差し出された白い手、毛布に包まれた両足、艶のある黒髪。
雨の日だと余計にみずみずしく見える唇と瞳。

…宝石のような赤い瞳。

「熱いから気をつけてね」
「ああ」

赤い瞳は、またテレビの中の試合に戻ってしまう。

「飛影」
「なんだ?」

ちょっとイラついた声。
飛影は滅多にテレビを見ないのだから、何も今、邪魔をすることはないと自分でもわかっている。

「もうすぐ終わるから、後にし…」
「飛影、大好き。本当に大好き」

唇がぽかんと開き、一瞬後には頬が赤く染まる。

この後に続く言葉はわかっている。
バカ、という言葉を遮って、俺は飛影の頭を抱き寄せキスをした。

差し込まれた俺の舌から逃れるように、飛影の舌は丸くなる。それを解き、絡め、水音を立てた。

「……っ、バカ、やめろ、後にしろ…!」

髪を引っ張られ、俺は大人しく顔を離した。

「…ったく…何を急にサカってやがる…俺はこの試合を見たいんだ」
「はーい。もうしません。大人しく待ちまーす」

だから、抱っこさせて?
俺は飛影を毛布でくるむようにして、膝の上に抱き上げた。
手の甲で唇を乱暴に拭い、赤い頬のまま、飛影はテレビの中の試合に視線を戻した。

振った、とか
振られた、とか
飽きた、とか
他に好きな子ができた、だとか。

同級生の男どもから毎日のように聞かされる、他愛もない会話。
若者にありがちな、一瞬の恋話。

蔵馬、今の彼女と三年も付き合ってるのか?
中学の時からか。長いなあ。

そう驚くクラスメートたちに、俺は決まってこう答える。

全然長くない。
これから一生一緒にいるんだから、と。

呆れたり、驚いたり、苦笑したり、羨ましがったりする友人たちを見ながら、俺は心の中で、呟く。

彼女は俺の、ファムファタルなんだ、と。

紅茶を飲む、飛影の横顔。
ファムファタルを見つけたのは、三年前、中学二年の秋の終わりだった。
***
「ごめんね。好きな子がいるんだ」

できるだけ、すまなそうな顔を作って俺は言う。

涙目になって走り去る子、唇を噛んでうつむく子、そっかあ残念、と明るく笑って茶化す子、女の子たちは、みな様々な反応で、俺の元を去る。

ごめんね、ともう一度言う。
我ながら、なかなか誠実な対応だ、と思う。

学校と名のつく場所に通うこと八年、何度この言葉を言ってきただろう?
***
「嫌いな相手じゃなけりゃ、試しに付き合ってみてもいいんじゃないか?」

屋上から見下ろしたグラウンドでは、男子生徒たちがサッカーをしている。
秋から冬へと変わるこの季節、運動するにはいい季節だ。と言いつつサボっているのだが。

「試す、ねえ。それも何だか不誠実じゃないか?」
「そもそもお前、誠実じゃないだろう」

海藤はしれっと言うと、読みかけの本に視線を戻した。

「そうかなあ?これでも気を使って断ってるのに」

俺たちのクラスは、グラウンドにいるクラスで、今は体育の授業中だ。
なんとなくかったるくてサボって来た屋上には、馴染みの先客が本を読んでいた。屋上はもちろん吹きっさらしだが、陽の当たる今はそう寒くはない。

海藤は特に仲がいいという訳ではないクラスメートだが、俺たちは二人とも上位成績者の常連だ。もっと言うなら、常に一位と二位を争っている。
大人びた言動のこの男を、俺は嫌いではない。

「だって、ただ断ったら角が立つだろう?」

好きな子がいるって言えば、しょうがないって思ってくれるだろ?
だいたいさ、クラスの子ならわかるけど、ろくに喋ったこともないような子が俺のこと好きだって言うのはどういう訳?
一目惚れなんて、存在しないと思うんだけど。

俺の言葉に、海藤は肩をすくめてみせた。

「お前の顔が好きなんだろ」
「ええ?失礼な。顔以外取り柄がないみたいじゃないか」
「言ってろ。まったくモテる男は傲慢なもんだ」

そう言いながら海藤は立ち上がり、ズボンの尻をはらった。
四限の授業の終了を知らせるチャイムが鳴る。

「昼飯行く?」
「いや、職員室に行かなきゃなんだ。うちのクラスに入る転校生がいてね」
「へえ?」

女の子?と俺は聞く。

「女を片っ端から振ってるくせに何を期待してるんだ?」
「運命の出会いとか?」
「…ファムファタルか」
「え?」

フランス語で、運命の女、って意味なんだ。
持っていた本を掲げ、海藤はそんなことを言う。

「運命の女…?」
「まあ、魔性の女、人生を変える女っていう意味もあるらしいけど」
「さすが文学少年だね。俺も早く会いたいな」
「まったく…。お前、購買行く?」

購買行くなら俺の分もパン買ってきて。適当でいいから。
そう言いながら、海藤はさっさと屋上のドアを開ける。

「あ、そういや転校生、男か女か聞き忘れたけど、双子なんだとさ」

ドアが閉まる寸前、海藤は呟くように言う。

「双子か…」

二学期も半分以上過ぎたこの時期に転校生というのもめずらしいが、双子もまためずらしい。
***
運命の出会い。
クラスの男子の半分がそう考えているんじゃないだろうか?
中学生という、虚勢を張ることに関してばかり一人前のやつらが、ポカンと教壇を見つめていた。

びっくりするような、美少女。

水色の髪がふんわり包む綺麗な顔。
大きな蒼い瞳は水のようで、氷のようで、白い肌と相まって雪の結晶を連想させる。
艶のある唇はピンク色で、微笑の形を作っている。

制服を作るのが間に合わなかったのか、前の学校の制服をそのまま着ている。
紺色のブレザーとスカート、襟元に赤い細いリボンというのがうちの学校の女子の制服だが、彼女の制服は黒のワンピースにボレロという古風な形で、緑色のリボンだ。
一人だけ違う制服を着ていることで、より一層、彼女が特別な存在に映った。

…イジメられなきゃいいけど。

俺はそんな心配をした。
過ぎた美しさは異端だ。女というのはそういう所、怖いものだ。

もっとも、そんな心配は杞憂だということは、一週間もしないうちに分かることになるのだが。

分かったのは、それだけではない。
俺はこの転校生の少女と、後々ずいぶん親しくなることになったからだ。
***
「雪菜ー!先行くよ」
「待って待って!ジャージ忘れちゃった!」
「またあ?」
「お姉ちゃんに借りてくるから待ってて!」

飛び出してきた彼女と、教室に入ろうとしていた俺は盛大にぶつかった。

「いったー!」
「ごめん、大丈夫?」

飛び出してきたのは彼女だが、俺は謝って手を引いて立たせてやる。

「ううん。こっちこそごめん」

ええっと、5組はどっちだっけ?

「あっち。4組と5組は渡り廊下の向こうの校舎だから」
「遠いなあ!」

先に行っちゃダメー!走って行ってくるから待っててよ?

廊下にいる女子のグループにそう叫ぶと、彼女は駆け出した。
女の子たちは、もう、と言いながらも笑っている。

…上手いな。

計算でやっているのか素なのかは分からないが、かわいくて憎めない妹、という感じ。
同い年でありながら、妹という甘える立場に違和感なく納まっている。
まあ、実際に同い年の姉がいるのだからまんざら演技でもないのだろう。
初日、クラス中の視線を浴びながら彼女は微笑んで挨拶をし、5組に姉がいるのでそちらもよろしく、と言った。

「上手くクラスに溶け込めそうだな」

席に戻った俺に、海藤がぼそっと言う。
まるで教師のセリフのようで、俺は笑った。

帰宅部以外の生徒たちはそれぞれの部活に行っている放課後のこの時間、教室は閑散としている。
彼女も多分、部活を決めるためにあちこち見学に行っているのだろう。
お姉ちゃんのジャージを借りて。

「双子か。あんな美人が二人いるっていうのもすごいな」

俺の言葉に、海藤が本から顔を上げた。
このクラスメートは、いつでも本を読んでいる。

「…姉の方も見たけど、似てなかったぞ」
「そうなのか?双子なのに?」
「二卵性なんじゃないか?」

じゃあ、美人じゃないのか?
そう尋ねると、海藤はちょっと困ったような顔をした。

「…独特な雰囲気だった」
「かわいくないってこと?」

今、教室に女子はいない。はっきり言えばいいのに。

「美人、と言えなくもないが…険のあるキツい感じだな」

目が大きくて口が小さいのは妹と似てる。背も同じように低かったし。
でも髪は黒髪でショートだった。真っ赤な目が、印象的だったな。

本ばかり読んでいる海藤の説明はどことなく文章的で、淡々としている。

そっか、と俺は尋ねておいて聞き流し、時計を見た。
今日は生物部に顔を出しておかなければ。
そんなことを考えながら。

次の日に、世界が変わるなんて、これっぽっちも知らないままに。
***
困った。

十枚ほどの部活動の入部申込書を手に、俺は溜息をつく。昨日顔を出した生物部で、部長に部員の勧誘を頼まれたのだ。

自分で言うのもなんだが、生物部はそう人気のある部活ではない。美人の転校生が俺のクラスに入ったとを聞きつけて、誘えと言うのだ。
その子が入部すれば、つられて部員が増えるだろうという短絡な作戦。

その子につられて、男子が入部するだろ?後はお前が女の子を何人か入部させてくれれば完璧だ。女の子って、花が好きなはずだろう?
部長は勝手なことを言って、入部申込書をよこした。
女の子というものは、花をもらうのが好きなのであって、育てるのが好きな訳ではないのに。

ま、後で考えよう。
1組の扉を開けようとした俺に、後ろから声をかけられた。

「おい」

自分のことだとは思わず教室に入りかけた俺の制服を、誰かの手が引っ張った。

「おい!お前に話しかけてるんだ」

ぶっきらぼうな、言葉。
けれどその声は女の子のものだ。

「あ、俺…?」

振り向いた目線のだいぶ下、背の低い、女の子。
自然に、彼女は俺を見上げることになる。

俺を見上げる真っ赤な瞳。
くしゃくしゃだが艶やかな黒髪。
背は低いが、顔も小さいので、スタイルは悪くない。
形のいい唇は、きゅっと閉ざされている。

「ご、ごめん、何かな…」
「1組なんだろう?雪菜を呼んでくれ」

その言葉で、ようやく転校生の姉の方だと気付く。
黒のワンピースにボレロ、緑色のリボン。
赤い瞳に釘付けになるあまり、彼女の制服がうちの学校の制服ではないことにも気付いていなかった。

「君の妹、お昼はクラスの女の子たちと別の場所で食べてるみたいなんだ」

妹はすっかりクラスメートたちと仲良くなり、昼食もどこかで一緒に食べているらしく、昼休みの今、教室に姿はない。
姉はやれやれという風に眉を上げ、教室を覗いた。

「じゃあ、雪菜の席を教えてくれ」

ジャージを貸したままなんだ。
返しに来いって言っておいたのに。

女の子は俺の指差した席へ向かい、ジャージの入っている、学校指定の青い袋を取った。
教室にいる生徒たちの視線も気にせず、彼女は青い袋を持って、さっさと教室を出た。

「あ!ちょっと…待って!」

小柄なのに、歩くのが早い彼女に、廊下の曲がり角で追いついた。

「なんだ?」
「ええと…あの…」

なぜ俺は追いかけたのだろう。
不審そうな眼差しに、柄にもなく焦る。
俺をじっと見る赤い瞳に、宝石に興味などないのに、ルビー、という名がふいに浮かぶ。

「あのさ…生物部に入らない?」

手に持ったままだった入部申込書に気付いて、とっさに、そんな馬鹿げたことを俺は言う。

「入らん。剣道部にもう入部したんだ」

素っ気ない返事と共に、彼女は早くも歩き出そうとする。

「待って!」
「なんだ?まだ何かあるのか?」
「名前…」

名前を聞いてもいい?

「飛影」

言うなり飛影は廊下の向こうへ消えてしまった。

使い物にならないほど握りしめた入部申込書を手に、俺は廊下に立ち尽くしていた。
***
5組が、俺のクラスである1組とは別棟にあることを呪いつつ、俺はせっせと5組の前を通る。

授業中の飛影は退屈そうで、休み時間の飛影は大抵机に伏して眠っている。
誰もいない授業中の廊下を、さも通りがかっただけのような顔をして俺は歩く。
優等生であるというのは、こういう時には便利だ。
教師に呼び止められたとしても、教材を取りに行くのを頼まれたとかなんとか、いくらでも言い逃れはできる。

孤立しているわけでもないが、飛影は女の子にありがちな、べったりつるんで行動することもなく、淡々と学校生活をこなしていた。

何してるんだ?俺。
そう自分で諌めてみても、つい足は飛影のいる場所へ向かってしまう。

用もない放課後の体育館へ今日も行き、剣道部の練習をチラリと横目で眺める。
火曜日と木曜日と金曜日が、剣道部が体育館を使える割り当ての日だ。
剣道部にいる時の飛影は、一番いきいきして見える。
と、言っても、飛影はいつも不機嫌そうな表情で、笑っているのを見たことがない。

デフォルト、不機嫌。
という感じ。

愛想がいいわけでも、妹ほど美人なわけでもない。

でも、目が離せない。
独特な雰囲気、という海藤の言葉は、的を得ている。

「飛影ー!」

よく通る、声に、体育館の中にいたほとんどの生徒が振り向いた。
双子の妹が、体育館の入口で手を振っている。

誰あの子?転校生?
すっげえ美人。
どこのクラス…?

その抑えた騒めきは届かないらしく、妹は姉に向かってにこにこと手を振っている。

え?妹なの?
双子だって?似てないな…。
気の毒ー

俺は思わずムッとしてそちらを見る。
剣道部の男子たちはそれに気付かず、まだ双子の噂をしている。

「気の毒?そうかな」

妹の方に走って行った姉の背を見ながら、ポツリと呟いたのは、剣道部の三年生…確か武威とか言ったっけ?…だ。

「俺は、そうは思わないな。姉ちゃんの方が、好きだな」
「へー。主将の好みなんすか」
「い、いや…その…」

モゴモゴと口ごもる姿は不器用で人のいい熊といった雰囲気。
中学生とは思えない大柄な生徒で、いかにも剣道部の主将といった朴訥な感じ。
きっと部員に慕われているリーダーなのだろう。彼の言葉に、男子剣道部の生徒は、一斉に双子の方を見た。

双子は、二人で体育館の入口の、光の当たる小さなスペースで、何やら言葉を交わし…

…二人揃って、弾けるように笑った。

初冬の放課後の、ぼんやりとしたぬるい日差し。
独特の、埃っぽいようなにおいに包まれた体育館。

気怠いその空気をふるわせて、双子の笑い声が響く。
なぜか、子供の頃に家にあった、金魚の絵が描かれた、小さなガラスの風鈴を思い出すその声に…

心臓を、つかまれた気がした。

妹の、雪菜の笑い顔は何度も見たことはある。
けれど、飛影が笑っているのを初めて見た。

いつもどことなく険のある、飛影の目や唇が笑みにほどける。
二人は互いの白い手を組んで、指を絡め、何がおかしいのかまだ笑っていた。

笑っている二人は、びっくりするほどよく似ていた。
***
屋上に女の子を呼び出す、なんて、一昔前のドラマみたいで自分でもちょっと恥ずかしい。
おまけに夕暮れの屋上は、陽の当たる日中とは違い、ずいぶんと寒かった。

「…お前…雪菜のクラスの?何の用だ?」

不機嫌そうな口調で言われ、早くも折れそうになった気持ちを立て直す。

ふと、俺に告白してくれた、大勢の女の子たちを思い出す。
みんなこんな不安な気持ちで俺に好意を伝えてくれたのだろうか。
だとしたら、今さらだけど、申し訳ないことをしたと思う。

「ごめん、呼び出したりして…あの」
「なんだ?」

昨日体育館で見た、あの笑顔が嘘のような、冷たい表情。
でも、それさえも惹きつけられる。

「何の用なんだ?さっさと言え」
「あの、俺…」
「…雪菜か?」

俺は面食らう。
彼女の妹が、何の関係が?

「直接言う方がいいぞ」
「え?」

飛影は肩をすくめる。

「遠回しなのは好きじゃないんだ、あいつは」

メールとか、手紙とか、…俺に言付けるとか。

「そういうのは、雪菜は好きじゃない」

だから、本人に直接言うんだな。
男のくせに、俺から言ってもらおうなんて女々しいことを考えるな。

「じゃあな」
「違っ!ちょっと待ってよ!」

なんだ…?
そう言いながら、飛影は振り向いた。

俺を見上げる真っ赤な瞳。
くしゃくしゃだが艶やかな黒髪。
形のいい唇は、きゅっと閉ざされている。

何よりも、生意気そうな、その視線。

「俺と…付き合ってくれない?」
「…?」

赤い瞳が、眇められる。

「好きです。ええと、妹さんじゃなくて、君を。…俺と、付き合ってくれませんか?」
「断る」

早い。瞬殺。

屋上のドアは重たい鉄の扉だ。
飛影は早くもドアノブに手をかけ…

「待って!俺のこと…」

嫌いかな?

藁にもすがる気持ちでそう聞いてみる。
思わずつかんだ飛影の手は、ひどく冷たくて、こんな寒い屋上を告白の場に選んだ、自分が寒い。

「嫌いも何も、お前なんかろくに知らん」

知っているのは、雪菜のクラスメートだってことだけだ。
だいたい、お前こそ俺の何を知っている?
なんで俺を好きだなんて言えるんだ?

「俺のことなんか、何も知らんくせに」

俺も、いつもいつも思ってきた、その疑問。

「笑ったところ…」
「?」
「笑ったところも、すごくかわいいのに。あんまり、笑わないから」

だから、君が笑う時は、側にいたいな、って。
もちろん、怒っている時も、泣いている時も、側にいたい。

そして、できれば…俺が君を…笑わしたいな、って。

一息に、そう告げる。

放課後の屋上は人もいないが、風を遮る物もない。
この息苦しい沈黙のさなか、一際冷たい風が吹き抜けた。

俺の告白にしかめっ面をしていた飛影が、クシュ、とくしゃみをした。

「ごめん!こんな寒い所に呼び出しちゃって…」

俺の人生初の告白というやつは、あまり冴えているとは言い難い。
慌てて脱いだブレザーを、飛影の肩にかける。

飛影はちょっと驚いたような顔をしたが、かけられたブレザーを払いのけはしなかった。
クシュ、ともう一度かわいいくしゃみをし、寒さで潤んだ瞳で俺を見上げた。

「…変なやつだな…」

クスリと、笑う。
それは苦笑に近かったが、それでも、ほんの微かであっても、彼女の笑みは俺の心臓を飛び上がらせる。

「ご、ごめん。せめて、これ、着てって」
「いいぜ」
「……え?」

飛影の白い頬が、薄く染まったのは寒いからだろうか?

「…いいぜ。お前と付き合ってやっても」

イイゼ。オマエトツキアッテヤッテモ。
その言葉の意味を、脳が理解するのに、数秒かかった。

「…本当に?俺と付き合ってくれるの?」
「ああ」

飛影は再び屋上のドアに手をかけた。ギイッと錆びた音を立て、ドアが開く。
ドアが閉まる寸前、校舎側から、飛影はこちらを振り向く。

「お前、名前は?」
「あ!…蔵馬」

自分の名を名乗る前に告白するとは、間が抜けてるにも程がある。

「…蔵馬」

飛影の唇から発せられた、俺の名前。

羽織っていた俺のブレザーを、飛影は投げた。

ぶわりと風をはらんだブレザーが俺の手の中に落ちるのと、
重たい鉄のドアが閉じたのは同時だった。
***
あれから三年。
俺のことなんか、何も知らんくせに、と言い放った彼女は、俺の毛布にくるまり、俺の膝の上にいる。

今では色々なことを知っている。

コーヒーより紅茶やココアが好きなこと。
テレビはあまり見ないこと。
コットンの服が好きなこと。
生理が重いこと。
冷え性でいつも冷たい手をしていること。

妹の雪菜ちゃんには、とことん弱いこと。
氷菜ママに、たっぷり愛されてること。

…照れ屋で、どうしようもなく意地っ張りなこと。

テレビの中の試合は、どうやら終わったらしく、表彰式のようなものを映していた。

今日の飛影は、コットンのキャミソールの上に、薄手のセーターを着ている。
膝の上に抱いたまま、俺はキャミソールの下から、そっと手を入れる。

素肌に触れる俺の手に、飛影はびくっと動いたが、怒りはしなかった。
滑らかな腹部を撫で、そのまま胸に触れる。

小さな吐息が、飛影の唇から漏れる。

やわらかな胸を両手で包む。
小ぶりだが形のいい胸は、ここもまたコットンで覆われていた。

「ん…ぁ…」

ゆっくりと、ブラの上から胸を揉む。
弾力のあるあたたかさが、俺の手の平にじんわり伝わる。

「ひ、あ…嫌…」

ブラのふちをなぞり、その中に指を滑り込ませる。
見えなくても、位置は手に取るように分かる。

「んんっ!!」

人さし指と中指で、乳首を挟むようにしてしごく。
たちまちツンと立ち上るそこは、熱く硬くなる。

「あっあっ…う…っ」

硬くなったそこを、摘み上げて指先で擦ると、飛影の頬は赤く染まり、かわいい唇は半開きになる。
丸く膨らんだ乳首の感触は、見えないからこそ余計にそそる。

「やめ…やめろ…って…くら…」

首筋に顔を埋め、軽く噛んだ俺に、飛影がかすかな抵抗を見せる。

「くら…ああ、んん…これ、見てる…って言っただろ…あ!」
「もう試合終わったじゃない…」

テレビを消そうとした手を、飛影が止める。

「こい、つ…覚えてるか…?」
「?」

テレビをチラリと見る。
そこに映る剣道着の大男は、どこかで見たことのある顔だ。

「あ、いつ…強く…なった…っん」

ようやく俺は、そいつを思い出す。
中学の時の、剣道部の…

…姉ちゃんの方が、好きだな…

「ねえ、飛影…」

この男に、告白されたこと、あるでしょ?

「……ない」

薄紅色だった頬は、ぶわっと赤くなる。
飛影が嘘が下手なことも、俺はもちろん知っている。

「なんて言って断ったの?」

俺がいるからって、言ってくれた?
俺のファムファタル。

「ふぁむ…なんだと?」

見上げるように、振り向くその顔。
赤い瞳は潤んで、やわらかな胸は、俺の手の中で脈打っている。

「ファムファタル、って言ったの」
「…なんだそれは…?んあ…」

毛布の上に、飛影をゆっくり寝かせ、まずはセーターとキャミソールを、重なったまま脱がせる。

耳障りなテレビも、消す。
これで目障りな男も消えた。

「見てるって、言っ…!」
「他の男なんて、見ないでよ」

ふざけるな、と飛影が眉を吊り上げる。

「お前にそんな…」
「指図を受ける覚えはない、でしょ?分かってるよ」

いいよ。
他の男を見たって、構わない。
でも…

「…でも、俺は飛影以外の女は、見ないよ」

分かった?
俺のファムファタル。

「ファムファタル…?」
「後で教えてあげる。かわいいサクランボが、もうお待ちかねみたいだよ」
「!!…くら…バカッ、やめ…」

ファムファタル。

運命の女。 魔性の女。 人生を変える女。

上等だ。
俺の人生は全て、飛影のもの。
それで全然構わない。むしろ大歓迎だ。

ずらしたブラから、ぷるんと飛び出した小さなサクランボのような、それ。
甘くとろけるピンクの果実を、俺はそっと口に含んだ。