day by day

「飛影は〜?」

泣きそうな、情けない声。

「私が来てあげたでしょ?何かご不満?」

本当は、何がご不満なのかなんて雪菜にもよーくわかっている。

「飛影に会いたい…」
「オーバーだなあ!だいたい入院して三日しかたってないじゃない!」
「三日も会ってない〜」

まだ三日じゃん、うざ!と言いかけた雪菜だったが、ここは病院で、目の前にいるのは一応病人なのだと言葉を飲み込み、ベッドサイドの硬い椅子に腰かける。

「まだ、痛いの?」
「痛いよ」
「盲腸なんて、かっこわる〜」
「格好悪いとかいいとかじゃ…あ、いたた…」
「ケーキ買ってきたよ。食べる?」
「食べない!俺、一昨日手術したんだけど!?」

「こら。みなさんにご迷惑でしょ。しーっ」

そうたしなめながらも、笑顔でカーテンを開けたのは、蔵馬の母親の志保利だ。
きゅ、というヒールのない靴が立てる音は、良い母親の証のように聞こえた。
先ほど挨拶をした雪菜に、なんて綺麗なお嬢さん、と目を丸くした志保利は、息子の布団を優しくかけ直してやる。

「あ、私もう失礼しまーす。お母さん、良かったらケーキ召し上がってくださいね」
「え、せっかく来てくださったのに。待って待って」

早々に立ち上がった雪菜に、志保利は待ってて、今ジュースでも買ってくるから、一緒にケーキ食べましょうよ、もうちょっといてくださいな、と、雪菜が止めるのも聞かず、足早に病室を出て行ってしまう。

やれやれ、と眉を上げる雪菜に、蔵馬はなんだかいたたまれない。

「帰るよ。お母さんにはよろしく言っておいて」
「うん。来てくれてありがとう…ところで飛影は…?いたっ!」

布団の上から軽くではあるが、雪菜は腹部を叩いた。

「お母さんをどうにかしないと、飛影は来ないよ」

言っておくけど、飛影はお見舞い来たんだからね。でもお母さんがずーっと付き添ってたから、あなたには会わないで帰ってきちゃったんだって。え?お母さんに?会ったのかって?ううん。病室覗いたら、お母さんいたから気付かれないようにそっと帰ったんだってさ。
飛影だよ?あの飛影が彼氏のお母さんになんて会うわけないでしょ。

「ええ〜。ここまで来てくれたのに帰っちゃったの!?」
「そ。でもお母さんがベッタリだから、もう来ないよきっと」
「飛影、怒ってるの?だからメールにも返事くれないんだ…」
「ていうかさ」

母親が朝も昼も晩も様子を見に来てるなんて!飛影はあなたのお母さんと鉢合わせしたくないから来ないの!分かってる?

「うちの母親は未来の嫁をいじめたりしませんが」
「飛影のかわりに言うけど、バーーーカ!」
「冗談です。ごめんなさい」
「なんで高校生にもなって盲腸ごときで母親がこんなにベッタリ付き添いしてんの!このマザコン!」
「マザ…!いやこれには訳が……」
「どんな訳があ…」

お待たせー、と明るく帰ってきた志保利に、二人は慌てて口をつぐんだ。
***
「ただいまー」

玄関を開けた途端、カレーの匂いに包まれる。

「いい匂い!お腹空いた〜。ママは?」
「もう帰ってくるだろ。着替えて手を洗ってこい」

キッチンに向い、いつも通りの言葉を発しながらも、飛影はそわそわしている。

「はーい。着替えてくるね」
「……おい」
「なあに?」
「…その…あいつは…」
「その?あいつ?なぁに?」
「…もういい」

赤くなってぷいっとそっぽを向いた姉に、妹は慌てて、うそうそ、ごめんー、と苦笑いする。
そもそも、行くに行けずにいる飛影の代わりに、雪菜は見舞いに行ったのだ。

「飛影に会いたいー、ってベソかいてたよ?」
「……」
「ケーキも食べないしー」
「…そりゃそうだろ。盲腸で入院しているやつに、ケーキ持って行ったのか?」
「まあまあ、盲腸なんて死にゃしないって。手術も終わってるんだし」
「…そうだな」
「そんなに心配なら自分で行けばいいのにー。メールも返してあげなよ」
「別に心配じゃない。…あんなマザコン知るか!」

サラダに入れるリンゴを、ダンッと音を立てて飛影は切る。

「なんだ、あいつ!四六時中母親が付き添いやがって!子供か!」

そうだ。飛影は蔵馬が入院した日から昨日までの三日間、毎日病院には行っていたのだ。
ところが、四人部屋の病室をそっと覗くと、そこには蔵馬の母親の姿が常にあり、慌てて逃げ帰ってくる、という繰り返しだ。

「何が、会いたいだ!もう見舞いなんか行くか!」

リンゴはいつもよりも細かくスライスされ、サラダボウルに放り込まれる。

怒りのパワーで料理をしている姉を見つつ、困ったなあ、どう説明しようか、と妹は溜め息をつきながら洗面所へ向かった。

蔵馬の母親があんなにベッタリ息子に付き添っているのには、それなりに訳があったのだ。
***
そもそも、前の晩から変な腹痛と吐き気はあったな、と、蔵馬は思い返す。

痛い。
なんだか下腹が痛い。
胃がムカムカする。

風邪でも引いただろうか、今日は飛影は朝練だから一緒に登校していない。風邪をうつさなくて良かった。などと考えていたが、三時間目の始まる頃には、どんどん強くなる痛みに冷や汗をかき、四時間目の始まる頃には保健室にいて、四時間目が終わる前には病院送りにされていた。

簡単な手術だからね。大丈夫大丈夫。と医者は傍らの看護婦に、手術の指示を出していた。
高校生だっけ?親御さんに連絡取れたらすぐ手術するね、それでいいね?などと医者はお気楽に言い放ったが、すでにベッドから起き上がれないでいた蔵馬には選択の余地もなかった。

傷を庇ってゆっくり歩いて辿り着いた談話室で、蔵馬は雪菜に冷たいコーヒーを買い、自分にはミネラルウォーターを買った。
見舞いにきた蔵馬の担任と母親が話し込んでいる隙に、病室を出てきたのだ。

「で、それがなんでマザコン疑惑を晴らすことになるわけ?」
「いや、そのね。俺、そのまま入院、手術になっちゃって…」

着替えとか、洗面道具だとかなんだかもろもろ用意してくださいって、駆けつけた母さんが病院の人に言われて。
で、俺のマンションに取りに行っちゃったんだよね。

「もう。そんなの当たり前じゃん。それがなんなの?」
「部屋に…」

飛影の写真とか…服とか…いろいろあって。
蔵馬の困り顔に、ようやく雪菜にも、ピンときた。

「…そっか。なるほどねー。あのエロ写真」
「どこが!? エロくないでしょーが!!」

蔵馬の部屋に飾られている飛影の写真は、もちろん雪菜も見たことがあった。
普通、付き合っている恋人同士なら二人で一緒に写っている写真を飾るものだろうが、飾られているのは飛影が一人で写っている写真ばかりなのだ。

写真嫌いの飛影は滅多に撮らせないので、カメラ目線の写真は一枚もない。
ふと、窓の外に気を取られている写真だったり、紅茶を飲んでいる横顔だったり、パジャマを着て眠っている小さな背中だったり、制服で歩いている後ろ姿だったり。

でも、その写真はどれも、それを撮った者が、どれだけ被写体を愛しているかが如実に現れていて、奇妙にエロティックな写真だと、雪菜は常々思っていた。

「パジャマとか…下着とか………ナプキンとかもあったから…」
「実は女装趣味なんだ、俺。隠しててごめん、って言ってみたら?」
「いや、服のサイズ合ってないし。っていう問題でもないし」
「…それで、お母さん怒っちゃったんだ?一人暮らしをしたいなんて、このためだったのね!? って?」
「まさか!…逆だよ」
「逆ってなに?」
「…会いたいって」
「え?」

俺に彼女ができたのが嬉しくて嬉しくて、会わせろって言うんだよ。

「普通、息子の彼女ってそんなに会いたいもんなの?」
「うーん。うちの母さんは本当は女の子が欲しかったらしいんだよね」

娘と買い物したり、ご飯食べたり、温泉行ったりっていうのに憧れがあるみたい。
だから、俺に彼女やお嫁さんができたら、娘ができるような気でいるのかも。

「娘と嫁は別物でしょ。ていうか飛影はまだ嫁じゃないし」
「それ以前に飛影は人見知りだし」
「人見知りで人嫌いで無愛想だし」
「うん。彼女は恥ずかしがりだからダメっていったら、母さん拗ねちゃって」

じゃあ病院に毎日来てれば会えるわよね、毎日来るわ!って。
有言実行。毎日毎日、朝も昼も夜もここに張り付いているってわけで。

「マジ?」
「マジです」

蔵馬は恋人の顔を、雪菜は姉の顔を思い浮かべ、同時に深い溜め息をついた。
***
「見せろよ!毛ェ剃ったんだろ?」

開口一番、それはないだろう。
蔵馬は怒る気も失せ、呆れて友人を睨む。

だいたい、この時間はまだ授業中のはずだ。
もっとも志保利はそれに気付きもせず、またもやジュースを買いに、売店に走って行ってしまった。

「オフクロさん、やさしそーだな。うちのババアとはえらい違い。で、見せろよ」
「…剃ってません」
「嘘つけ。いーじゃねーか。男同士だろ!見せろよ」
「やめ!本当だってば!今は剃らないの!!」
「なーんだ。つまんねえの」

昨日雪菜が座っていた椅子に、幽助は腰を下ろす。
彼の見舞いは、当然のようにマンガ雑誌とタバコだ。

「俺、タバコは吸わないんだってば」

母親に見られないよう、慌ててタバコを幽助の制服のポケットに押し込む。

「病院って薬くせーな。ところで飛影は?」
「人の彼女を呼び捨てに…」
「ひーちゃんは?」
「やーめーて!!」
「来てねえのかよ」

来てねえのかよ、幽助の何気ない言葉が、なぜか今日は胸にチクリとトゲを残す。

「だって今授業中だよ。サボってるのは君くらいだよ」
「ああそっか。学校行ってんのか」
「……学校が終わってからも、来てはくれないけれどさ」

つい、愚痴っぽい言葉が蔵馬の口から飛び出す。

「え?なんで?」

ぼそぼそと、昨日雪菜に話したのと同じ話を、繰り返す。
せっかく幽助が見舞いに来てくれたというのに、話しているうちに、蔵馬はますます落ち込むばかりだ。

「言やあいいのに。俺が荷物取ってきてやったのによ」
「まあ未成年だからね。そういうわけにもいかないよ」

今は再婚したとはいえ、女手一つで自分を育ててくれた母だ。
マザコンと言われようが何と言われようが、勝手に部屋に入らないでくれなどと、母に冷たい言葉をかけることは蔵馬にはできなかったし、したくなかった。

無意識にタバコを取り出し、火をつけようとした幽助は、おっと、と呟き、ポケットにタバコを収める。

「いけね。ここ禁煙だよな」
「それ以前に君は高校生でしょ」
「ま、元気出せって」
「…うん、そうだね」
「だいたいさあ、お前はあいつの…なんだっけ?ツンデレ?そこがイイんだろ?」
「そうだけど……でもツンの割合高すぎじゃない?ツンが9でデレが1くらいの気が…ううん、0.5かも」
「かもな。でもお前から好きになったんだからしょうがねえじゃん」

どうせ明後日には退院だろ?
そしたら好きなだけ飛影と会えるじゃん?

あっけらかんと言う幽助に、蔵馬も力なく微笑んで、うん、と頷いた。
けれど小さなトゲは、胸に刺さったままだった。
***
「ねえ、本当にうちに帰ってこないの?」

母親は心配そうに、息子の顔を覗き込む。
平日の午後のタクシーはなんだか眠そうに、街を走る。

「金曜日なんだから、日曜日までうちで休んで月曜日から学校行けばいいじゃないの」

月曜日はお父さんが学校に送って行くわよ、ねえ、家に帰ってきなさいよ。
母の言うことはもっともだ。普通はそうするだろう。

「ごめんね母さん。病院は落ち着かなかったからさ。久しぶりにゆっくり一人で寝たいんだ」
「でも…まだお腹痛いでしょう?ご飯だってどうするの?」
「大丈夫大丈夫。……実は彼女が来てくれることになってて」
「あら!そうなの?なら良かった。なんだか母さん邪魔しちゃったわよね。ごめんね」

そんなに照れ屋の彼女さんだとは思わなくって。ちょっとだけでも会えたらいいな、って。
どうしても、会いたかったんだもの。

しゅんとする母の肩を抱き、蔵馬は笑う。

「ごめんね。すごーく、照れ屋な子なんだ。そのうち紹介するから」

またね、具合が悪かったらすぐ電話するのよ、温かくして寝なさいね。
心配そうに言う母親に、蔵馬は笑って手を振り、エレベーターのボタンを押した。
***
実は彼女が来てくれることになってて。

見栄を張ってそんなことを言ったはいいが、もちろんマンションには誰もいない。
それでもこの一週間、母親がずっと側にいたことも、相部屋だったこともあり、一人になれる時間のなかった蔵馬は、なんだかホッとする。
実家に帰ってしまっては、飛影に会うのも電話するのもままならない。

綺麗好きな蔵馬の部屋は、急に留守にした後でも、散らかってはいない。けれど、たった六日留守にしただけなのに、なんだか部屋の空気が澱んでいるように感じ、窓を開ける。

「…さむ」

まだ秋は始まったばかりなのに、外気を冷たく感じるのは、空調が完璧に行き届いた病院にいたせいだろうか。あの奇妙に生ぬるく薬くさい空間よりは、ここの方がはるかにいいが。

パチンと開いた携帯には、着信はない。メールは一件、雪菜からのものだ。

ー退院おめでとう!何か食べたい物ある?持ってってあげるよ!それとも今日はお母さんが泊まるの?ー

午後の授業はもうすぐ終わる時間だ。

ーどうもありがとう、でも大丈夫だよ。母さんは帰ったけどー
と雪菜にメールを返し、もう一通、メールを打ち始める。

ー会いたいよ、学校終わったら会いに来てー
そう飛影にメールを打ちかけ、蔵馬はふと手を止める。

なんだか、ひどくさみしい。
心が弱っている、感じ。

飛影は入院中、電話に出てくれなくて、メールの返事もくれなくて、母親が病院にいたとはいえ、一度も会いにも来てくれなかった。
なのに、会いたいと、母親は帰らしたから会いに来てくれと、メールを打つ自分が、なんだか悲しい。

別に飛影に怒ってなんかいない。失望してもいない。
ただ、ちょっと。

「さみしいなぁ……」

蔵馬はポツリと呟き、飛影へのメールは送らないままに、携帯を閉じる。
服も着替えずに、ベッドカバーも外さないままのベッドにゴロンと横になる。

着替えなきゃ、シャワーも浴びなきゃ。病院のにおいが染みついたような髪も洗いたいし。
寝るなら窓も閉めないと。せめてちゃんと布団の中に入った方がいい。

そんなことを考えながら、蔵馬は目を閉じた。
***
ぬくぬくと毛布にくるまり、久しぶりの静かな場所での眠りという贅沢に身をひたしていた蔵馬の肩をたたく、手。
お醤油のような、いい匂い。温かい匂い。

…母さん、やっぱり来ちゃったのかな…

「おい、起きろ」
「……んー…もうちょっと…」
「さっさと起きろ。飯が冷める」

飯?さっさと起きろ?
なんという乱暴な物言い。

「………え?……飛影?」
「…誰だと思った?」

ムスッとふくれる、その愛しい横顔。
飛影のお気に入りの毛布が、蔵馬をくるむようにかけられていた。

「…飛影、来てくれたの?」
「他にどう見える?いいから起きろ。鍋がかけっ放しなんだ」

それだけ言うと、飛影はスタスタとキッチンの方へ行ってしまう。
まだ寝ぼけているのかと目を擦りながら、蔵馬も慌てて後を追う。
***
茶碗蒸し。
ほうれん草のおひたし。
春雨ときゅうりの酢の物。
かぼちゃとニンジンの温かいサラダ。
たっぷりと大根おろしの添えられた秋刀魚の塩焼き。
里芋とれんこんの煮付けには、トロリとそぼろあんがかかっている。

「ほら、食え」

豆腐とワカメの味噌汁がコトンと目の前に置かれる。
手渡された炊き立てご飯の茶碗を持ったまま、蔵馬は茫然とする。

美味しそう。

なにこれ。
なんだこれは。

目を瞬かせた蔵馬だったが、寝ぼけていた脳が、ようやく回転し始める。
ぼうっとテーブルの上を見つめる蔵馬に、飛影は困ったような顔をする。

「……まだ、腹が痛いのか?何か、食えない物あるか?」
「あ、え、ううん!あの…これ…飛影…俺に作ってくれたの?」
「俺とお前以外に、ここに誰かいるか?」

皮肉っぽい笑み。
けれどその笑みは、今日はほんの少しはにかんでいるように見えるのは、蔵馬の気のせいだろうか。

「だいたい、食いたい物があるかって雪菜がメールしただろう」
「え?あれ飛影からだったの?」

なぜ妹に頼むのか。この照れ屋な姉は。

「…返事をよこさなかったんだから文句言わずに食え」
「いただきます…」

味噌汁を一口。
しょうがないこととはいえ、病院の食事は何もかも味が薄く、生ぬるかった。
味噌汁が火傷しそうに熱いということだけで、蔵馬は感激してしまう。いや、味もとてもいい。きちんとダシを取った美味しい味噌汁だ。

初めての、彼女の手料理。
以前から、飛影の料理は上手だと、雪菜に聞いてはいた。けれど、頼んでも頼んでも、作らない、作れないの一点張りで、飛影が蔵馬に食事を作ってくれたことはなかった。もちろんそれが照れくささからだということは、蔵馬にはわかってはいたが。

「美味しい…」

おひたしも、茶碗蒸しも、とても美味しい。
飛影は自分の分は置いたまま、蔵馬の秋刀魚の皿に手をのばす。

身を綺麗にほぐし、ハワラタや小骨を丁寧に取り除く。
それは自分のためにしてくれているのだと気付いた途端、蔵馬はじわっと涙目になる。

「ほら、食え…ってお前、何を涙ぐんでんだ!?」
「だって……うれしー…」

本当は、蔵馬はらしくもなく、なんだか不安だった。
さみしい、なんて男の自分が言うなんて女々しすぎて、誰にも言えなかったけど。

「バ、バカか。も、盲腸に刺さると悪いから取ってやったんだ!さっさと食え!!」

盲腸取っちゃったから刺さりません、などと余計な口答えはせず、蔵馬は秋刀魚や他のおかずにも箸をのばす。

一口ごとに、体に正しく豊かな栄養が満ちていくような気がする、食事。
びっくりするほどどれもこれも美味しかった。もっとも、飛影が作ってくれたというだけで、どんな味だったとしても蔵馬は感激して夢中で食べただろうけど。

「あ」
「…なんだ?」
「写真撮ればよかったな…母さんにメールできたのに」

言ってから、しまった、と蔵馬はばつの悪い顔をした。
彼女がこんなに美味しいご飯を作ってくれたと知らせれば母親は喜び安心するだろうと思って、それになんだか自慢したい気持ちもあって何気なく口にした言葉だったが、何も今、母親のことなど持ち出し飛影を怒らせることもなかった。

「ごめんなさい…あの…」

まずい。これじゃあ本当にマザコンだ。
飛影は箸を止め、蔵馬を睨むように見る。

「ごめん、そんなつもりじゃな…」
「…明日も…作ってやる」
「え?」

今日も、明日も泊まる。
飯も作ってやる。

「…明日、写真でもなんでも撮って母親に送ればいい」

赤くなった頬を隠すように、飛影は味噌汁の腕を両手で持って傾ける。

「………飛影」
「まだ文句があるのか?」
「…君ってさ」

本当に、究極に。

「ツンデレだよね……」
「…何をわけのわからんことを」

とっとと食え。冷める。

「…はい」

胸に刺さっていたトゲが、すうっと溶けるのを感じ、蔵馬は微笑む。

「ねーねー、一緒にお風呂入ってくれる?」
「調子に乗るな。沸かしてあるから一人で入れ!」
「お腹痛いのになー」
「…本当か?」
「嘘です。ごめんなさい。そんなには痛くない。でもセックスはまだ無理」

ー誰がしたいと言った!
ー俺はしたいのに
ーとっとと食って、風呂入って、寝ろ!!
ーじゃあ、一緒に寝てね
ー……
ー一緒に寝…
ーわかったわかった!
ー手、つないで寝てね
ーうっとうしいやつだなお前は!

きっとこんな風に、蔵馬は飛影と過ごしていく。
思い通りにならないことも、上手くいかないこともある。けれどそれはお互い様で。
それでも一緒にいるのだろう。

美味しい料理や、愛想のない彼女がごくたまにくれる甘い言葉や小さな笑顔に、舞い上がり、惚れ直し、癒されながら。



「ごちそうさまでした」


...End.