サイト5周年お祝い話<to実和子さま>

6年目の浮気




「は…?」


ピロートークには似つかわしくない間抜けな声が、柔らかな間接照明に照らされた寝室に飛び出した。 あまりに予想外な言葉を受けて茫然としている傍らの男に、飛影は小さく鼻を鳴らした。


「今、何て…?」

「年寄りかお前は」


呆れたように小さく息を吐くと、 飛影はまだ火照りが静まらない上半身を起こしてヘッドレストに置いてある蔵馬の煙草を取り出し、 徐に火を点けた。


「他の男と遊んだと言ったんだ」


そう言い放つと、飛影は吸った事のないはずの煙草をやけに上手に燻らせた。 白い煙が薄く部屋中に広がる中、蔵馬はただ無言のまま惚けている。


「…飛影が?嘘でしょ?」


能面のような表情からようやく出た言葉はとても小さく、 どうやらかなり動揺しているようだ。いい感じだ。


「もうまる5年もお前しか相手にしてないとつまらんからな。 たまには違う男と寝てみたくなったんだ」


飛影はどこか得意げにそう言うと、もう一度ゆっくりと煙草をふかした。 蔵馬はしばし無言を貫いていたが、 矢庭に起き上がると飛影が昨夜脱ぎ散らかしたままの黒衣とストールを飛影に投げて寄越した。


「何、まだ暑い…」

「もういい。それを着て出てって」


まだ夏の盛りだと言うのに蔵馬の視線はどこまでも冷たく凍てついて、 そこには一切の妥協も救いも存在しない。 それを目の当たりにした飛影は、背筋に冷たく走るものを感じた。


「…何だ、一回の浮気ぐらいで。そんな小さな器か?お前は」


飛影の皮肉にも反応することなく、蔵馬はシャツを羽織ると飛影に背を向けたままドアノブを手にした。


「貴方が出て行かないならオレが行く。もうここには来なくていい」


パタリ、と静かにドアは閉まった。 残された飛影の手にある煙草の火が、今にも消えそうに小さくなっていた。





*    *    *





「どういう事だ、幽助!!」


準備中の屋台の向こうで、小さく押し殺した問答が繰り返されていた。 幽助はラーメンのダシに使う豚骨を砕きながら頭をひねった。


「っかしいなー。蔵馬のことだから嫉妬してお前に詰め寄ると思ったんだけどな」

「思ったんだけどな、じゃ済まないぞ!あんなに、あんなに怒った蔵馬は見たことがない…」

「マジか。お前が浮気なんかしたっつったら絶対相手の男とか聞きだしそうなもんだけどなー。 しかし何も言わずに出て行ったってことは…」

「てことは?!」

「お前に愛想が尽きたとか…」


みるみる眦が吊り上がる飛影に、幽助は慌てて頭を振った。 怒りと絶望に苛まれた飛影は今にもそこら中に黒龍波でもお見舞いしそうな勢いだ。


「おま、お前なんかの口車に乗るんじゃなかった!お前のせいで!!」

「んな事言ったって、おめぇが蔵馬の本心が知りたいっつってきたんだろうよ。 俺はあくまで浮気のフリしてみたらって提案しただけだぜ?」

「後で嘘だってバラす余裕なんか無かった…!アイツはもう、俺の言葉なんか聞きやしない…」

「まぁまぁ。嘘なんだから正直に言えば蔵馬だって許してくれるさ。 何なら俺が取りもってや…」


茹だるように暑い夕方の路地裏に、突如身も凍えそうな冷気が辺りに満ちてきた。 いや、冷気ではなく妖気…?


恐る恐る二人が振り向くと、そこには冷酷無比で名を馳せた大妖怪が腕を組んでこちらを眺めていた。


「く…っ、蔵馬…!!や、これはそのあの…」


あまりに恐ろしい妖気に幽助はしどろもどろになりながら弁解しようとしたが、 蔵馬はただ一瞥をくれただけで踵を返すと背を向け歩きだした。


「あ…」


飛影は蒼白になりながら身動きひとつできずにその場に立ち尽くしていた。 追うことも呼び止めることもできず、立ち去る蔵馬の背中をただ目で追っていた。


が、去っていく蔵馬は背を向けたままふいに片手をあげると人差し指で軽く合図をした。 それを見た飛影は幽助と目を合わせると、幽助は大きく頷いた。 飛影は慌てて蔵馬の後を追っていった。


小さくなる黒い背中を眺めながら、幽助は肩を竦めた。


「ほんっと、お騒がせなヤツらだぜ」


そう呟くと、幽助は鼻歌混じりで砕いた豚骨を大鍋の中に投入した。





*    *    *





一体、どこまで歩くつもりなのか。


蔵馬はあれから一言も発しないままひたすら歩き続けている。 飛影はその後をただ黙々と追うしかなかった。 辺りはいつの間にか森のように木々が生い茂っている。


先を行く蔵馬は相変わらず長身で、颯爽としていて。 背に揺れる長い髪はきっといい香りがして、その肌は温かくて。 手足だって長いし、俺にだけ見せる笑顔はたまに情けないほどに愛おしくて。


なんで。どうして、怒らせるようなことをしたのだろう。


最初は幽助とのほんの軽口のつもりだった。 「もう5年も付き合ってて、お互いに倦怠期とかなんねぇの?」 そんな幽助の一言が気になって、蔵馬の気持ちを知りたくなった。 本当に、俺だけを愛してくれているのか。他に、好きなヤツが出来たりしないのか。


「浮気を演出したら、オメェの大事さに気付くって!」


そんな幽助の言葉を鵜呑みにした訳じゃない。 けれど一度生まれた疑心は、 最初は本当に小さな点だったのにいつの間にか心を暗く占めていった。


本当に、俺だけが好きか?
本当に、これからも俺だけしか見ないでいられるか?
本当に、…俺で、いいのか。


乾ききった唇からは、何も出てこなかった。 あんなに怒るなんて、蔵馬の信頼を自分の手で壊したも同然だ。どうしよう、どうしたら…。 俯いたままじっと考え込んでいた飛影は、蔵馬が歩みを止めたのに気付かなかった。


ドン。


思いもよらず蔵馬の背中にぶつけた顔を上げると、 こちらに背を向けたままのままの蔵馬が居た。 飛影が声を掛けようか迷っていると、蔵馬の声が響いてきた。


「何か…言う事ない?」


その声が思いの外、優しくて。 こちらを振り返る蔵馬の視線が思いの外、穏やかで。 飛影は思わず目の前の蔵馬の背中に抱き付いた。ぎゅっと、力を込めて。


「…らま、俺、その…」

「本当に、浮気したの?」

「…てない。嘘、だった」

「どうしてそんな嘘を?」

「分からない…」


急に蔵馬に腕を引かれたかと思った次の瞬間には、 飛影は蔵馬の胸の中にいた。


「っ…く、ら」


飛影は蔵馬の胸の中で窒息しそうなほど強く抱きしめられた。 その力強さに心の奥が軋みそうな程痛み、飛影は鼻先が熱くなるのを感じた。


「すま…なかった」


やっと絞り出した謝罪の言葉に、蔵馬は少しだけ腕の力を緩めた。 飛影と蔵馬、誰もいない林の中で二人はしばし見つめ合った。


「今回のは…あまり褒められたものじゃなかったね」

「悪い…それは、謝る」

「オレの愛って、そんな試されないと分からない位に小さいのかなぁ」

「そんな事…!違う!俺が、悪かっ…」


唇と唇が合わさり、それ以上の言葉は続かなかった。 始めはごく軽く、次第に深く。互いの温度を確かめ合うように、何度も。 舌と舌を絡め、歯列をなぞり。それは永遠に続くかのように繰り返された。


ようやく唇が離れると、蔵馬は飛影の唇から溢れた唾液をそっと舐め上げた。


「さて、この悪い子はどうやって躾けようかな」

「…何でもする。お前の言う通りに…」

「何でもする?言いましたね」

「あ!や、…いい。お前がしたいようにすればいい…」

「では、お言葉に甘えて」

「あっ!待っ…こ、ここで?ちょっ…蔵馬、ッァア!!」





*    *    *





「…と、いう訳で無事仲直りできましたんで」

「なぁーにが『という訳で』だよ。最初から全部知ってたクセに」

「まぁまぁ。こうしてちゃんと報告に来たんですから。 全ては幽助のおかげですよ」


蔵馬はそう言ってほほ笑むと、 幽助の作った肉厚の特製チャーシューがたっぷり乗ったラーメンを啜った。


「しっかしまぁ、飛影が気の毒だぜ。お前みたいなのに捕まってよ」

「人聞きの悪いことを。飛影が好きなのはこんなオレなんです」


にっこりと笑顔を振りまく蔵馬に、幽助は盛大にため息を吐いた。 飛影が何か隠し事をしてるらしいと蔵馬が探りにきたのはもう一月近くも前だ。 飛影から相談を持ち掛けられていることなぞあっという間にバレるし、 今度は逆に飛影にお灸を据えるための協力まで頼まれるもんだから、 堪ったものではない。


「とにかく!こんな面倒はもうご免だぜ。お前ら二人で勝手にしろっつーの!」

「ホントすみませんでした。これで瑩子ちゃんに何かプレゼントでもしてください」


綺麗にスープまで飲み干すと、蔵馬は財布から何枚か札を抜き出してテーブルに置いた。


「オイオイ、んな金取ろうだなんて思ってやしねぇよ」

「まぁ寄付でもされたと思って受け取って下さい。 他にお返し出来ることがあったら何でも言ってくださいね」


そう言うと、蔵馬は颯爽とその場を去って行った。 幽助は仕方なく札をジーンズのポケットに仕舞うと、煙草に火を点けた。


「プレゼントねぇ…」


倦怠期なんて、どこのカップルにも存在する。 それが人間同士でも、妖怪同士でも。 ましてや片方が妖怪だなんて、何がきっかけで崩れるか分からない、 綱渡りみたいなもんだ。


「ヘタに高いもんなんか買ってやったら、絶対不審がられてケンカだな」


苦笑いを零し、幽助は大きく煙を吐いた。この金で久しぶりに幻海ん家でみんなで集まって騒ぐか。 幽助はポケットから携帯を取り出すと、片っぱしから知り合いに電話を掛け始めた。 アイツらも呼んで、今度の事をみんなの前でバラしてやる。


幽助は嬉しそうにニヤリと笑みを浮かべると、電話を耳に当てた。


「あ、もしもーし!俺だけど。暇か?久しぶりに集まって飲まねー?」




End.



ENTWINNERのシンさんより、いただいちゃいました!(>∀<*)
シンさんとこは愛ある蔵飛、飛影愛され蔵飛サイトさんなのですが、
こんな鬼畜らサイトにこんな贈り物を…?
丸五年もアホなサイトを運営している甲斐があるというものです!
今後も頑張れそうです(笑)
シンさんありがとう!(Φ3Φ人)チュチュチュ
2014.08.31